2014年 3月某日。
ある朝、加藤がなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一つの巨大な袋に変っているのを発見した。完全にアタマがブッ飛んでおり、過去・現在・未来を見通す、神か悪魔か妖怪変化かに変身でもしてしまったか?と、半ば本気で思った。
あるいは、ジル・ボルト・テイラーという脳科学者が、自ら罹患した脳卒中を内側から観察したときの所感のように、まさか物理的・生理的に脳が破損しているのではないだろうか?と、残りの半分の可能性で心配した。
2012年の暮れから続いていた鬱の、ひとつの結末だ。
あのとき、駅のホームで頭がおかしくなったのをはっきり実感した。
精神崩壊と言うのも大げさだし、ごくごく簡単に言えば、要は、もう無理!と思った。
完全に、意味不明になって、生きていても何にもならない。ファックだと思った。
要するに、頭が死ぬほどファックするまでシゴかれたのである。
あのときは二年半くらい夜勤を続けていて、職種はコールセンターのリーダーだった。
昼間は真っ暗な暗室で過ごし、夜中は職場でクレーム処理に追われる日々だった。
職場の人間関係もそこまで良好ではなく、自分が浮いていることも無視していた。
冷静に振り返れば、ぶっ壊れないほうが不自然な生活態度だった。
とにかくお給金がよく、その美味しさはとても手放せるものではなかったし、言語能力およびヒラメキと、地道なオペレーションの積み重ねとのバランスがよくて、正直、すごく好きな仕事だった。ここを抜けたら、もうあとが無いな〜!と、よく冗談を言っていた。
ジワジワ、ジワジワと、些細なことからうまくいかなくなってきていた。
モチベーションのようなものが枯渇していた。
グルグルグルグルしていて、まったく前進していなかったし、したくなかった。
向こうにあるものは断崖絶壁であると予感しながらも、行くことも戻ることもせず、ひたすら、お金をもらうためだけに、なにかを押し出していたのである。
そう、人生を。
そうしたところから、ビョーキという結果でリタイアを果たした。
それから1年弱、またもやドロドロした日々を送った。
ただ、それまでと違うのは、制作に打ち込む機会を得られたということだった。
この1年は、デザフェスだ!!ということで、鬱からの脱却をはかった。
モチベーションと???のみで脳を奮い立たせ、制作に関わった。
このあたりは、小冊子「制作なんとか ♯1」にくわしい。
(イヨマンテのトップからダウンロードページにジャンプできます)
そうした1年を経る中でも、やはり気を抜くとドスンと落ちてしまい、部屋から一歩も出られなくなってしまう日も多かった。目が覚めた瞬間からなにかに恐怖しており、焦燥感に駆られて、ソーシャルネットワーキングサイトに思いの丈を書きなぐっていた。
とにかく、ずっと悩んでいたことはというと、とにかく意味不明だということ。
自分は、この世というものについて、何ひとつ、チリひとつ理解できない。本気でそう感じていた。便宜的に、記号の交換をするだけで、自分が生きているのか死んでいるのかさえ不明で、無明で、末法だった。ゾンビだった。この世には誰もいない!!と泣き叫んで狂って死ねば、気が済むだろうか?ということばかり考えていた。
過去のトラウマと向き合うなんていう発想は、なかった。
文字通り、存在していなかったのである。ないものは、ない。
認識のすごさというか、石ころ帽子をかぶせたように、無価値な宝物を、そう扱ってしまっている、という事実だけを頼りに、無意識の領域にしまいこんでいた。
で、事件が起こる。
あれは一種の契機だったのだろう。
一気にすべてが崩壊し、それまでの価値観を根底から破壊するような、ほとんど生きたまま自殺するような精神的変貌を経て、坊さんになってしまった。
坊さんになった、というより、パーフェクトに遁世し切った。
そして、10日間かそこらのあいだに、10や20ではきかない奇跡を連続で引き当て、人生がある転機を迎えたことを理解した。そのハチャメチャな転生の記録はまた書くとして、とりあえず区切りがきた。
これを「躁転」と表現することが正確かどうかはわからないが、個人的には、まったく違うと信じてやまない。
確かなことは、以前にもまして、可笑しい奴だ!と笑われていることである。
今はそれを幸福に感じる。
これでいいのだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿