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2013年12月27日金曜日

気になっていること

先日、知り合いの訃報が届いた。

この頃ようやく持ち直してきたものの、デザフェスが終わってから慢性的に暗黒的な気持ちに落ち込んでいたときにちょうど重なった。

彼を知る人同士での集まりがあって、生前の話を聞くことができた。
彼は生前、こう言っていたという。

「私はこう思うしこう感じる、あなたはそう思うしそう感じる、人それぞれで世の中成り立ってて、だから世の中は回ると人は言うけど、それは間違っていて、そんなことだから戦争は終わらないし、人は永遠にわかり合えない」

どうして私とあなたは違うのか?
どうして優れるものと劣るものがあるのか?
どうして自分は自分でしかないのか?

という万人が抱えている共通の問題に、自分は自分なりに考えたりしていて、彼がそう考えていたのと同じように、自分もそのように仮定したことはあるんだけど、結局その辺をグルグル回って「みんな違う心を持っている」というところに軸を置いてしまっている。

彼は本気で世界を変えようとしていたらしい。

決して亡くなってしまった人が言っていたらしいことだから、という意味で特別に心に引っかかったわけではなくて、自己表現だとか美術にまつわる霊感のようなものにかまけている自分自身が、何かを表現しようとしておきながら、最終的にはどんなことを感じてもいいことになっている自分自身の心の中に逃げようとしていて「だってあなたと私はわかり合えないじゃないか」というところに魂を隠しているのではないかという、自分自身の背中を見たような気になって、ひどく戸惑ってしまった。

それからも懲りずに悶々とした日々を送り、何にも手が付かず、ゴミみたいな体たらくで部屋に引きこもって意識を消して何かをやり過ごすことしかできなかった。

とりあえず戻ってきたところといえば、写真を作ろうという相変わらずの結論になった。
頭の中はゴチャゴチャしているのだが、猫はいつも同じ顔をしている。

2013年11月14日木曜日

デザフェス38の前後

デザフェス38「せかオム」ブースの会場の様子
(せかオムHPはこちら http://sekaomu.web.fc2.com


遂にというか、ようやくというか、皆でデザフェス38を終えた。
終わってしばらく、燃え尽き状態というか魂が抜けてしまっていたけど、そろそろ平常運転に戻ってきたので、当日の前後のできごとを簡単に書きます。

・ブースの看板
前回の看板は大急ぎで作ったうえにプラ段1枚で作ったものだからベコベコになってしまった。今後「せかオム」での活動において何度も使えるような看板の案をみんなで相談したところ、立体文字にしてみようということになった。サイズ設定が甘くて、ちょっと大きく作りすぎてしまった。

50mm厚のスタイロフォームをスチロールカッターでくり抜いた

本体はピンクのスプレーで塗装し、文字の形に切った厚紙を貼った


・フライヤー用の写真撮影
前回は東さんのイラストが表面を飾ったが、今後は開催ごとに参加メンバーの持ち回りでやろうということになって、今回は加藤が担当した。
自分の作品のデータをいろいろいじくり回したCGを何通りか作ったんだけど、つまらないものになったのでバッサリやめた。せっかくカラー印刷だしなぁということもあって、東さんのデジカメを借りて新しく撮ることにした。
卵のカラでできた構造物に豆電球を埋め込んで発光するようにしたものを、正方形の鏡を鏡面を内側にして立方体に組んだものにいれ、ガラスカッターでくりぬいた穴から覗き込んで撮影した。

卵のカラに小さな穴を空けたものと、大きく剥いたゆで卵のカラを用意した

グルーガンをなるべく目立たないように駆使してカラの集合体をつくった

「爆誕」をイメージした。ブースの色と自分の色がうまく合わさったように思う


・小さな写真の量産
人にもらったものや、紙選びに迷っていたころから残っていた、普段使わない印画紙が余っていたので、そこまで神経を使って焼かないような写真を小さくストレートに焼いて、安価に出せる商品として全部焼いてしまうことにした。
こういうことをするのは初めてだったけど、ウンウン唸りながら一日に4〜5枚ひねり出すのとは全く逆で、ガンガン焼いてガンガン処理するのはたいへん気分が良く、爽快感があった。

動物や風景など、通常あまり焼かないものをプリントするのは気分転換にもなった


・長机に置くひな壇
今回はポストカードなど小さいものも売ることになっていたので、通行人から見やすく、手に取りやすくなるようなひな壇を作った。前回のデザフェスによってたいへんな量の木材が余ったので、今後は何かと別の用途に利用したい。

165センチの人が手の届く距離に立ったときにちょうど正対するような角度にした



まとめ

ブースの設営に関しては前回の反省が生きて、比較的無理のないスケジュールと作戦に落ち着くことができた。しかしそれでも、開場から1時間は設営完了にはならなかった。もっと綿密に事前演習をしなくてはならないように思われる。

売上はぼちぼちというところだった。大きな写真は売れなかったものの、さすがに目を引く効果は高いようで、前回よりも前を通る人の反応を見聞きできる機会や、写真について話しかけられることが多かった。配布小冊子は全部は掃けなかったものの、95%はもらわれていった。

写真の仕事をもらうことができた。これは追々書きます。
ちょうど席を外していたときに、前回と同じように海外で作品を発表できる機会を与えてくれるかもしれないような話があったそうで、たいへん惜しい思いをした。連絡をもらえるような感じになっているらしいので、不確かながら、もしかすると今後またそういう発表ができるかもしれない。



無料配布小冊子について

PDF版が以下のリンクからダウンロードできます。

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2013年10月20日日曜日

無料配布小冊子のプロトができた

これまで細々と制作を続けてきて、ある程度の目的意識のようなものは出来てきた。

・自分にとってのベストを尽くしたいように尽くせるライフワークにすること
・暗室文化の中身を開示し、その保全に少しでも貢献すること
・各人が独自の制作をもつことの楽しさややりがいについて興味を持ってもらうこと
・お金をかせぐこと

いきなりすべてを実現することは難しいので、ひとまず出来ることからチマチマやっていきたい。手始めに、デザインフェスタやその他の機会において無料で配布する制作についての小冊子をつくることにした。目次から作り始めたのだが、それぞれに肉付けしていくと膨大な量になってしまったため、印刷の事情的にキリのいいページ数に絞った。なんと60ページ!!

フォトショップ!でチマチマチマチマ作ったぞ

セブンイレブンのマルチコピー機でせこせこ量産するコピー誌だが、表紙は少し厚い紙にしてみたり、中とじで製本してみたりと、おお無料か…と思えるくらいの質感にはなるだろうと予想している。もちろん、それを回収するに足る効果を発するだけの役をこなしてくれないことにはたいへん切ないので、できるだけ丁寧にぬかりなくやりたい。

11月2日(土)3日(日)の両日おこなわれるデザフェスでは、1日100部くらいの配布を予定している。今回は#1となっているが、#2がまとめられるほどの情報を改めて積み上げるまでにはけっこうな時間がかかるはずなので、無くなってしまってもいずれまた機会があるごとに繰り返し配布していくことになるだろう。

表紙はこんなです。

ぜひぜひもらいに来てください(無くなっていたらゴメンナサイ)


2013年10月15日火曜日

ギエーとなるとき

プリントしていると、気持ちがギエー!となって、ウワー!となることもある。

思った通りにならないと、なんで??なんでこうなるんだ???という混乱が始まり、どこのどんな要素について思い違いをしているのかの患部探しに突入して、アーッ!!と集中がはじけてしぼんだ風船のようになってしまう。

でも少し時間をおいて他のことをやり、平静を取り戻してから落ち着いてもう一度違うアプローチで検証を繰り返すと、必ず良い方向に向かうことができる。

ひとまず発見したことは、薬液の劣化について。
希釈した後の薬液の劣化については、作ってから作業を開始して8時間経つごとに作り直すか、作業にキリをつけるようにして、ずっと注意をしていた。しかし希釈する前の、原液の段階での劣化については注意が及んでいなかった。

新品の原液を開封したら、100ccのボトルに空気が入らないように小分けをしたうえで冷蔵保管し、1本ずつ使っていくようにすれば大丈夫だろう。多分。

過去に行ったはずのテストと同じ条件を繰り返しても妙に結果がズレる原因を根気よくつぶしていけば、正確で再現性のあるレシピを蓄積できるようになるはずだ。

100種類のネガを100枚ずつ焼けば、多少は見えてくるものもあるだろう。
とにかく丁寧にやるだけだ。

それしかない。

2013年10月14日月曜日

展示にでかけた

「ただいまと言うことにした」という展示を見に行った。

新宿眼科画廊という名前はときどき見かける。眼科医の先生が持っている画廊なんだろうか。新宿東口から10分くらい歩いたところにあって、素直に表を歩いていけばよかったのだが、きょうは道路が歩行者天国になっていたせいで人がうじゃうじゃいてウッと思い、歌舞伎町の中を抜けていったところ「DVD、DVD」「DVD?」とたくさん声をかけられた。DVD。

眼科画廊の裏手に喫煙所があったので一休みした。自販機の裏に隠れ込むようにスペースが設けられていて、いいぞ、と思った。空き缶のゴミ箱のそば捨てられた食べかけのハンバーガーの包みに野良猫が頭をつっこんで食べていた。

画廊の奥に入ると涼しくて壁が真っ白になったスペースがあった。コンセントの差し込み口やスピーカーまで白く塗られていて、白い…と思った。

展示は5人の作家によるグループ展だった。展示というものに殆ど行ったことがなかったけど、今回は展示のタイトルにすごく惹かれたことと、普段から好きでよく見かける作家さんのものだったので出かけてみた。

現在はどんな作品もただちにデジタル情報になって世界中に拡散されるものだけど、実際に手が触れて形になったばかりの、形になったまま時間が止まってしまった物体としての、質量あるオリジナルを、この目で見るというのはすごく良いことだと思う。今すぐにでもこの作品に、鉛筆で、絵の具で、その他でもって、このかたちを変更してしまうことができる。完成したということにはなっているけれど、今すぐにでもそれを壊すこともできる。ここに飾ってあるものたちは、完成していながらも、完成していないことにもできる。それはそれが、ネットに流れている画像だとか、写真に撮った情報ではなくて、それが質量をもったそれそのものだからそうできるのであって、見ていると「この瞬間で描くのをやめたのだ」「時間が止まっている」ということがよくわかった。時間が止まった人間のようだった。あの作品そのものだけが持っている「終わっていなくもある」というすごさは、見てしまった、知ってしまった、違うものに変換してしまった、という終わってしまう側(私たちのように)にとっては、触れ得ないものだなと思った。

情報というのは奇妙なもので、誰かが「私はこういう人間です」とか「あれはああいうものです」「こうです」と言葉や文字としての情報で説明したとしても、結局はそれそのものの方が、説明しようとしたものや感じられるものをそもそも完全に含んでいる側であって、どんなに正確な感想や評論や情報でも、画面一枚でも離れてしまうと記憶のように断片化してしまって、まさにこの五感でもってそれ自体を感覚することには優らないものだなということを思った。

この作品はこれこれこういう絵で、こういう意味があって、こんな話が、物語が… ということはもちろんあるのだろうけど、それは作品が発している情報であって、その作品そのものの質量を説明はできない気がした。わざわざそんなふうに変換しなくても、それがそこにあるので、人がそこにいるように、作品がそこにあるということが感覚されて、やっぱりナマってこうだよなと思った。これはこういう味なんですよ、と脳に電極をさして情報を記憶化することと、自分でそれを食べて舌で感じることは違うと思った。

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ソーラーパネルの前に女の子が立っている絵が面白くて、写真みたいだなと思った。絵は自由に構図をとれるから、配置とか考える(てしまう)ものだと思うけど、三列あるソーラーパネルの左の列が、途中で切れてしまっていて、それが背景をあまり気にせずに撮った写真のようで、それでいて真ん中に立っている女の子は真ん中で、いいな〜と思った。

シャツの襟首が斜めになってしまっている女の子がネギの飛び出した袋を持って、空白の中に止まっている絵。

電灯の光が当たっているところだけ絵の具が塗られておらず、紙の地肌と鉛筆の線だけになっていて、そこが光っているように見える絵。

電車の中から窓越しに暗い風景を見るときのように、自分の顔が画面に映っている絵。

四角い紙と丸い紙に描かれた絵は、1つの絵が1つの漢字のようだった。
画面の中に線が見えるような感じがして、かきっと1文字が書道された色紙のようだなと思った。雨がふっている絵の線や、上の方に残った空白とか、見たことの無い文字がもっているような感覚の絵だった。

目が主題になっている絵。目は画面の中の女の子の目のように見えるが、その目はその作品を見ている自分の目を見ているのではなくて、その絵の中にいる女の子が見ているものを見ているんだなという感じがした。背後を振り返ってしまうような目だった。

色調がすごく不思議で、「この瞬間にこれ以上描くのをやめた」ということがすごくわかる感じに思えた。彫刻をやる人が、ある瞬間にそれ以上に刃をいれるのをやめるように、その色調がそこで面を作っていて、揺れ動くシーソーがある位置で停止するように、その色彩がそこで止まっていた。その目たちが見ている情景も、このように停止しているのだろうという感じがした。

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と、いうように、いくら自分があそこで感じたことを感想や文字に「変換」しようとも、あそこで感じたことそのものを完全には表現しないか、ねじ曲げてしまうだろう。とても素敵な体験をしたのだが、結局のところそれを伝えることはできないように思う。もしも伝えることが「できてしまう」なら、あそこにあった質量それそのものが、それ以外の何かに変換「できてしまう」なら、それは少し変なことだと思う。

もちろんその作品自体も、その作家自身の何かを完全に表現しているということではないんだろうけど、それでもその作品にもっとも近いその人自身がその手でその時を止めたということに匂ってくるようなものがあって、それはこの私が又聞きするように、このように感想を書いたりすることとは完全に次元が違う当事者の為したことであって、そういうことを感じられた。

あの空間や作品を説明した文章でも、あの空間や作品が保証する数字でも、あの空間や作品をiPhoneで撮った画像でもなく、あの空間にあるあの作品そのものをこの目と心に直接に感覚した、ということを、それ以外の行動や表現に変換することはできなくて、それがすごく、すばらしいことだなと感じ入った次第です。

2013年10月10日木曜日

雑記

・大全紙からF10号パネルへの仕上げは自分の中でほぼ手順ができた。

・大四切を無理やり四切バットで現像したら失敗した。大四切が沈むバット類を揃えるのももったいないしかさばるので、大全紙と同じような塩ビ管の筒を作った。ローリングさせるための台も新調した。木材は在庫が腐るほどあるので気楽だ。

・売り物にする写真ができたら品物の画像と値段をあらかじめ告知しておいた方がよいのでは?という意見をもらった。そうかもしれないと思うのでこのブログの記事に商品というカテゴリを作って記事にしようと思う。

・依頼があって市街の路上でゲリラ的に撮影をした。自分の作品として外に出すかは不明だけど、やっぱりカメラを使うのは面白い。すこし前からもろもろの事情から新しいカメラに乗り換えたいなと思っていたけど、改めてその必要性を感じた。ブロニカS2にはたくさんの思い出があるし当面はまだまだ活躍してもらうけど、夢としては同じブロニカのRF645を持てたらいいなあと思っている。

・昨年末にメンタルヘルスを起こして通院していたのだが、当時を彷彿させる不安感に苛まれる瞬間が増えてきた。あのときは全身が痙攣したり薬を飲まないと部屋から出られないくらい悪くしていたので全然マシなんだけど、多分ただの風邪だと思う。動悸と冷や汗がすごい。不安が多い。

2013年10月2日水曜日

看板の制作など

11月2日(土)と3日(日)に東京ビックサイトで催されるデザインフェスタ38への出展に向けて作品制作と諸々の準備を進めている。

これと同時進行している別件で、11月に上海で催されるアートフェアに作品を出してもらえることになっているのだが、それが終わって12月か1月あたりに1ヶ月間の個展を開いてもらえることにもなっている。

そういうイベントのときにわかりやすい(?)アイコンというか目印があるといいかなと思って、大全紙の仕上げと同じサイズのF10号パネルで看板を作ってみた。

下書き

絵の具の感覚を久しぶりに楽しむ


マスキングシートなるものを貸してもらったので試す

ワザが足りず、汚い結果に…

修正を重ねると、それなりになった

今後は大きな作品がメインになってゆく

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大全紙をパネルに仕上げる際に発生していたいくつかの問題はほぼ完全に解決できた。
当面の目標はロール紙という108cm幅が20m巻きになっている恐ろしい印画紙で、F60号(97cm*130cmくらい)のパネルを仕上げられるくらいのワザを身につけることだ。そこまでいくと子供用のベッドくらいの大きさになるので、実現することも大変だが、それに見合った大変なインパクトになるだろう。しかし、それも結局はハード側というか物質としての性質にすぎないので、仮に目標を達成したとしても、あくまでもプリンターとしての課題の域をこえない。どうして、なにを、どんなふうに撮るのかというもう片方の意識をおろそかにしていては、ただ大きいだけの物質でしかなくなるだろう。

はじめての個展を機に自分の制作についてひとまずの区切りをつけ、第一部完という気持ちでもう一度「撮る」ことを追いかけていけたらと思っている。これから撮っていきたいものは何となく心が決まっていて、きっとそれが実現するだろうと考えている。

撮影をする自分のワザと、プリントをする自分のワザの、その両方を一歩ずつ丁寧に進めていくことが、生涯を通しての目標になるような生き方をしたいと願っている。

2013年9月26日木曜日

回すくん1号の制作

大伸ばしに取りかかっているが、ものすごく楽しい。

ものすごく大きくなったプリントというのは、ものすごく大きくなったネガにほぼ等しくて、今までにもう知っていると思っていたそのネガの、もっと違う表情が見えてくる。
撮ったら終わってしまうのではなくて、何度も何度も時間をかけて、今とそのシャッターによって切断されたその時を行き来する面白さを改めて実感している。

水張りによるパネル加工の利点によるところも大きい。
水張り技法は、紙を水に浸けてふやかし「膨張しきった状態」のまま木製のパネルに張りつけて、辺を釘や針で留めてしまい、そのまま乾燥させるというもの。紙が太鼓の膜のようにピンピンに張りつめて、枠木に水張りした紙を叩くと、まるで太鼓のようなボーンという音がする。水張り技法は水にふやける紙でしかできないので、写真紙でいうとバライタ紙でしかできない。さらにいえば、水に深い関わりのある暗室技術ならではの「水によって仕上がる写真」と言えるかもしれない。

水張りはバライタ紙のデメリットをほぼ消すことができる。バライタ紙はレジンコート紙と違って、薬品処理をした後にさらにいくつかの処理行程が必要な「面倒な紙」だが、その行程を省略できる。そういった面倒を水張り以外の方法で解消した、当時の「次世代ペーパー」がRC紙であったので、それよりも昔はこの七面倒な紙しかなかったらしい。もちろん、利便性のために犠牲になった部分というのもあって、面倒な行程を経るだけの良さを実感する人もたくさんいるようだ。(バライタ紙とRC紙の違いについては省く)

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さて、大伸ばしは楽しいが、いくつか問題が出てきた。

大全紙から仕上げたF10号パネル

まず、角がうまく仕上がらない。四隅ともうまく仕上がる場合もある。おそらく膨張しきった状態から、よかれと思ってグイグイ引っ張りながら打ち付をすることが原因だ。
これは解消方法を思いついたので、何度もやってみるしかない。

角がひしゃげる…

そして悩ましいのが現像ムラだ。これはおそらく現像タンクに薬品を投入するとき、投入「し始め」から投入「し終わってタンクを倒して転がして全体に薬品が行き渡る」瞬間までにタイムラグが生じているために、急激に反応する現像液がそのタイムラグを如実に表してしまっているのだと思われる。

線状に浮き上がったムラ
(薬液投入時に真っ先に垂直にかかって液が垂れた部分と思われる)

これを解消するには、現像液を極端に薄くして処理時間を極端に伸ばすか、それとも皿現像をするときドボンといっぺんに沈めるときと同じように「均一に」タイムラグが起こらないほどに速やかにいっぺんに薬液反応をさせる必要があると思われる。大全紙の皿現像は現実的に無理だと思っているので、他の方法でなんとかするしかない。

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そこで、薬液を投入するときの投入方法について見直すことにした。「全体に、いっぺんに、すみやかに、均一に」薬液と印画紙との最初の接触が起これば良いわけだから、そのようになる装置を作ってみた。

年季の入った扇風機を壊して、モーターだけを取り出した

モーター軸に半球状の木材を背中合わせに取り付けた

タンクを横倒しにした状態でキャスターに接地させる台

「回すくん1号」の完成

2リットルの薬液がちょうど中の紙を浸しきる程度の勾配に傾けて、回転しているタンクに薬液をスーッとすみやかに流し込めば、かなり滑らかに全体に行き渡るはずだ。試してみないとわからないが、きっとうまくいくような気がする。

2013年9月22日日曜日

大伸ばし成功

大全紙の引き伸ばしは特に問題なく成功した。

大全紙スケールでテストをしたのだが、大きくて興奮した。

とにかく大きい。小さい方が六切でこしらえたSMサイズのパネル。

粒子が見える(てしまう)ほど大きい…

SMサイズの小振りなパネルも並ぶといい感じに見える。

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ひとまず最初に、引き伸ばし台盤上でSMパネル用に出したレシピのヘッドの高さのままで、そのままヘッドをぐるんと後ろに回し、押し入れの下の段に大全紙用のイーゼルをちょうどいいサイズになる位置に配置。そしてそれぞれのイーゼル上において、素ヌケのネガで最大黒に到達するまでの時間を計測してみた。すると同じ絞りの場合できれいに4.0倍という結果になって妙にスッキリした。六切のレシピをそのまま単純に4倍してテストしたところ、問題なかった。ヘッドの高さが変わったときにどうなるかは他のネガで試していかないとわからない。

大全紙の現像は先日の記事に書いたミュータンジェン1号を使用した。

ミュータンジェン1号と名付けた

オリエンタルのイーグル大全紙に、中外薬品のマイデベロッパー(1:14)現像液を2リットルぶちこんで床に倒してゴロゴロ往復。1回目のプリントは激しく転がしすぎたようで、紙が薬液を吸って膨らんでいく中で紙にダメージが出てしまった。大全紙が吸い込む薬液の量はちょうど100ccということもわかった。

2回目はやさし〜く転がしてみたところ、奇麗にできた。激しく転がしてもやさしく転がしても、像に差は見られなかった。大きくなったがゆえに更にこだわるべき細部が見えるようになったり、改良すべきという点も見あたったのだが、大全紙は気軽にまるごとテストに使えるような紙では今のところない(値が張るし作業が大変)ので、ぼちぼちといったところだ。それにしてもおおきい。すごい。鼻血がでそうだ。

パネルへの水張りもまったく問題なくできた。
SMパネルをやっているときに、角の部分の仕上がりに少し不満が出るようなこともあったが、角が奇麗になるコツがわかった。ガンタッカーで打ち付けているのだけど、フレームの四辺のそれぞれの両端、紙を折り畳むところのギリギリのところにしっかり打ち込んでおくと奇麗になる。水張りについてはいずれまた別に記事を書きたい。

それにしても、大きいことはいいことだけど、大きくするに耐える質のネガを作るという根本的な課題の方がもっと大きく感じられた、そんな初体験だった。

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デザフェスのレイアウトも考え中だ。

2013年9月20日金曜日

大きな写真をつくる

これまで暗室でのプリント作業は、六切というサイズを仕上げることに集中して作業をしていた。六切はだいたいiPadくらいの大きさで、大きな写真とは言いがたい。難しさの意味合いにもよるが、おおむね大きなサイズになるほどプリントの難易度は上がると言える。かといってハガキくらいの大きさに仕上げようとしても、情報量が少なくなりすぎて練習の成果も小さくなるという面もある。コストの兼ね合いも重要な問題だけど、練習としても仕上がりとしても、ちょうどバランスの取れるサイズが六切なのかなという感はある。ぼちぼち感覚もできてきたところで、11月には秋のデザインフェスタがあるため、展示の機会に合わせて、そろそろ大きな写真を作りたいという願望が膨らんできた。

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プリント作業は「引き伸ばし機」という、電球が内蔵された機械にネガをセットし、そのネガを通過した電球の光を、引き伸ばし機のレンズの下に置いた印画紙に与えるという露光作業が行われる。

引き伸ばし機はこんな感じの機械



この引き伸ばし機の台の上に印画紙を置くのだが、そのまま置いてはズレてしまうので、通常はイーゼルという器具に印画紙を固定する。印画紙の種類によっては紙が反り上がっていたりするので、押さえつけて平面にするという役割もある。昔から写真には白い枠がついているが、この枠のもともとの正体とは、イーゼルが印画紙の周囲を押さえつけた結果、光が当たらずに白く残ったもの。このブログツールにおいても、画像を掲載すると画像の外側に白い枠が自動で追加されるようだ。こんなところにも「写真」は残っている。

イーゼルはこんな感じの器具

上から見るとこんな感じ

このように、イーゼルの大きさによって、押さえつけることのできる印画紙のサイズの上限が決まってしまうため、大きなプリントをつくるためには、大きなイーゼルが必要になる。しかし、大きなイーゼルは非常に高価で、とても手が出ない!

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そこで「大全紙」専用のイーゼルを自作することにした。
寸法を色々考えて、ホームセンターでMDF材を買ってカットしてもらった。
600*910mmのMDF板からの切り出しですべて間に合ったが、1000円くらいだった。
金具とかネジとかを合わせても2000円かからなかったと思う。
MDF材は木質繊維を接着剤と混ぜて固めたもので、これを選んだのは、自然な材料だと反ったり膨らんだりして平面性に影響があるかもしれないと思ったため。MDFは平滑で均一な材料ではあるが、とても水濡れに弱くビスや釘の食いつきも悪いといったデメリットもある。

用意した材料を組んでみる

 下のボードに印画紙を置いて、上の枠で印画紙の辺を押さえつける構造

枠の四隅のL字金具は下にハミ出させて、置くと定位置におさまるようにした 

開口部の寸法はF10号のパネルより少し大きくなるように合わせた。

たいへんな大きさにショック!!(全然見えないけど)

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さて、露光ができたとしても、薬品処理の段でも器具の巨大化が必要になる。
四角いバットに薬液をプールして印画紙を沈めるような「皿現像」をしようとすると、巨大なバットを何枚も並べるような場所も無いし、なにより器具がべらぼうに高価なので、なんとか安く現像できるよう、種類の違う器具を自作する。

内径150mmの塩ビ管・キャップ・継ぎ手・掃除口 

大全紙の長辺に合わせたサイズに切断

ズゴゴゴゴゴゴゴゴ

ミュータンジェンの誕生

この筒の中に露光した印画紙を丸めて収納し、薬液を順番に入れてゴロゴロ転がせば処理ができるという寸法だ。フィルムの現像はこうした缶のような器具で現像するので、印画紙でもできるはずだ。場所もとらないし、なにより安い。

大全紙の短辺が重ならないように収めるなら、内径はおよそ162mm必要なのだが、1メートルに切り出された状態で購入できる塩ビ管では150mmが最大だった。ほんの少し重なってしまうが、最終的にはそれより一回り小さなF10号のパネルに仕上げるので問題ないと判断した。

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大きなプリントができるようになったら、この巨大な写真をさらに何枚も並べて、やっと全体像が見えるというような超巨大プリントに取り組みたい。
巨大なプリントには巨大な情報量が必要になるだろうから、今後あたらしく撮影していく作品については、そうした巨大な内容を宿らせていきたいと考えている。

2013年9月12日木曜日

写真の意味

どうして自分は写真をやるのだろうと考えることがある。
自分がやっていることって何なのだろうか?とか、そもそも実際に自分に「やれている」のかどうか?という疑念に駆られることも多い。具体的に手を動かすこともせずにぐちゃぐちゃ考えてばかりで何もできていないこともあれば、心を無にしてひたすら手の動きを他人のように見つめているようなときもある。

自分はカメラマンではないと思う。
というのも、頻度としてカメラを全然使わないからだ。申し訳程度にコンパクトカメラは持っているけど、外に出て何か感じたときに一瞬でそれと切り結ぶような、運命を引き寄せるような魔力を持ったものすごいカメラマンたちとは根本的に違うと感じる。最新の技術や知識をどんどん吸収して理解し、社会の中で必要とされる意味のある写真をキッチリ撮る。それはものすごいことで、まさにプロとしか言い様がない。

以前、テレビ局で働いていたころは、日本中を回ってロケをしていた。デジタルビデオカメラを一人で担いで街ゆく人々にインタビューをしたり、その一瞬に起こっている現象を見逃さず、しかも正確に、商品として「使える」ような「意味」のある映像を素材として収録し、それをつなぎ合わせてVTRを制作していた。もちろんチームでやっていることだから、その一端をできる範囲でやらせてもらっていたという程度だけど、求め「られる」ものとは何か?というのを、何となく体感していたようには思う。

しだいに「自分一人でやりたい」という思いが募っていき、誰にも関係ないところに閉じこもって、100パーセント自分の思い通りになったものを見たいと強烈に感じるようになった。仕事は仕事で本当に楽しかった。実入りはカスみたいなものだったけど、どんなものを作るべきなのかという明確な目標があって、合理的に誰もが納得する評価基準があった。ワクを拡大して言うなら、それは数字のことだ。数字のことはいいとして、モノ作りの業界を抜けてしまってからも、趣味としての写真は今も続けている。

はっきり言って自分が作っている写真が数字になることはないだろう。
誰も求めていないものだし、意味が無いものだからだ。でも決してそれはネガティブな現象ではなくて、個人的な、本当に私的であることに傾倒してきた結果だと思っている。私的であることが個人の幸福を普遍的にすると信じているけど、その辺は省略する。

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現実と対峙するためには数字を作らなくてはいけない。
自然ななりゆきといえばそうなのだけど、今の目標は「巨大な写真をつくる」ことだ。
大きさという説得力はすさまじくて、もちろん「なぜ大きくなくてはならないのか」という点での格闘は避けられないんだけど、観点をずらせば「なぜ小さくなくてはならないのか」との格闘でもあると言える。端的に言えば、大きなモノは大きな数字に等しい。

現状、暗室に精通している立場の方から言わせると「練習するにしても最低このくらいの大きさでないと練習にならない」程度のサイズである六切に専念している。なぜならそれが今の自分の限界で、それ以上大きいものは、作ろうと思っても、経験も知識も技術もまったく足りていない。言い換えれば、現時点では消去法的に小さくなっているに過ぎない。

「大きなものも小さなものも作れるのに、敢えて小さくつくる」というところまで最低でも到達できなければ、小ささは無意味な小ささに過ぎないままだ。大きな写真を作るために必要なことを少しずつでも揃える。

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書こうとしていたことがひとつも書けていないんだけど、とてつもなく長くなるので何度かにわけて書きたい。

2013年9月11日水曜日

イヨマンテ完成

すこし前までは自分の作品を発表する場としてリカヒノロクフというサイトを用意していたのだけど、サイトを置いていたサーバからメールがあり、事業を畳むことになったので預かっている情報はすべて消滅しますという内容だったので実際ショックを受けた。(すでに消滅済み)

写真を撮り始めた最初期には、もっぱらmixiのアルバム機能を使って内輪に向けて発表していたのだけど、ツイッターにのめり込むようになってからは、自分のサイトがほしいナ〜と思うようになった。ホームページを作るぞ!と思っても、既存のwebサービスはどうしても好きなようにならないし、何よりも勝手に仕様が変わっていくことが嫌だった。


ネットワークに関連するコンピュータに関して言えばすべてがそうなんだけど、アップデートだとかバージョンアップなどの「改良」によって、昨日までそこにあったボタンが無くなっているだとか、せっかく指が覚えた動作が違う意味にすり替わってしまったり、同じことをしているはずなのに何故か結果が変わってしまう…といった支配されている雰囲気がすごく嫌で、純粋機械としての「メカ」である道具でないとあまり心を許せない。


とはいえホームページは情報ツールなので、パソコンが得意でなくてもまあまあ体裁のつくものが作れるソフトはないものかと調べて、Freewayというmacでも使えるホームページビルダーを買って最初のリカヒノロクフを作った。


先日消え去ったリカヒノロクフは2代目で、2代目は当時一緒に共同生活をしていたダメレオンさんに無理を言って、すごい技術でハイパーテクノロジーとしか言いようが無いものをゼロからコーディングしてもらったものだった。すごく気に入っていたのでデータを移転して…ということも考えたが、自分の手に余るもののアフターケアをずっとお願いし続けるのもいけないし、また自分で作ろうということでシコシコやったのがイヨマンテだ。


自分のハンドルネームやサイトの名前を決めるのはすごく感慨深いというか、命に関わることをしている感じがして霊的な気分になる。加藤袋という名前についてもいろいろあるけどそれは省くとして、どういった顛末でイヨマンテになったのかを書きたい。


まず前身サイトのリカヒノロクフについては、自分の袋という名前から派生した名称にしようという考えがあって、最初にパッと浮かんだのが「光」だった。(袋の光…)というところから、とりあえずカタカナにしよう!というのは決まっていて、光を意味する外国語や学術用語を調べたりしたが、結局「フクロノヒカリ」に戻って、古くさいことしてるし、右から書いてやれということでリカヒノロクフに決着した。今度も同じ名前にしようかと思いはしたけれど、当時とは決定的に違うこととして、プリンターとしての自分という重要な側面が追加されたこともあり、改名することにした。


イヨマンテという言葉に最初に出会ったのは、真女神転生3というゲームの中に出てくるマガタマという道具の名前のひとつだった。(イヨマンテ…!)という響きがけっこう強烈に記憶されていて、今回「カタカナでひとかたまりの素敵な文字列」と考えたとき、まず最初に(イヨマンテみたいなの)と考えだした。


イヨマンテというのはアイヌ語で、直接の関係はないけど、ずいぶん前に初めて中野ブロードウェイに訪れたときにアイヌ語辞典が販売されているのを見て、思わず買ってしまった。今でもうちにある。カタカナの不思議な文字列の響きには感じるものがある。今回もいろいろ考えたけど、結局最初に浮かんだものでいこうということになった。よくよくイヨマンテとはなんぞや?とwikipediaを見たところ、これがまたものすごく神秘的な言葉で、こりゃもうこれしかないわと観念した。


”イオマンテ (iomante) とはアイヌの儀礼のひとつで、ヒグマなどの動物を殺してその魂であるカムイを神々の世界 (kamuy mosir) に送り帰す祭りのことである。[1]言葉としてはi「それを」+oman「行く」+te「何々させる(使役動詞語尾)」という意味。「それ」とは恐れ多いカムイの名を直接呼ぶ事を避けた婉曲表現であり、従ってイオマンテとは「カムイを行かせる」儀式の意である。また、語頭のiとoの間に渡り音のyが挿入されてiyomante=イヨマンテという発音になることも多い。
単にイオマンテという場合、ヒグマのイオマンテを指すことが多い。本来はカムイであればどんなカムイでも構わず、一部の地域ではシマフクロウのイオマンテを重視する。またシャチを対象とするイオマンテもある。”


はてなキーワードからの引用としては
アイヌの「熊の霊送り」の祭り。
成獣を仕留めた際に、残された子熊を里へ連れ帰り、1~2年飼育した後、盛大な儀式を執り行い親元である神の国に「送る(殺害して、死体をデイスプレイして飾る)」儀式。
1977年姫田忠義により映像化されている。”


とのことだ。

「殺害してディスプレイして飾り」「その魂を帰す儀式」って、完璧なマッチングじゃないかと思う。ほとんど自分の制作行為はイヨマンテに近いのではないかとさえ思った。

2013年9月8日日曜日

感動すべきもの

「いいもの」という概念がある。

優れたものは劣ったものより優れ、劣ったものは優れたものより劣る。個々の自由な価値観によってそれぞれは裁かれて、もはや善悪の領域にまで食い込む。それぞれの法律によって自分自身をも含むこの世のすべては優劣を強いられ、優れたものは愛され、劣るものは虐げられる。

優れたものとはなにか?劣るものとはなにか?というのは個人が自由に設定できるものではあるが、多くの人が感じる価値観に結果的に一致することもあれば、逆にそれらに対して合意し返すこともできる。そうした果てしない優劣の決めつけ合いの繰り返しの中で、自然に「証明せよ」という闘争本能や生存本能の表れに苛まれ、勝ったものは正しいとされるし、負けたものは誤りとされる。しだいに人々は合理的に美しくなり、論理的に殺す。そして感動「すべきもの」に永遠に心を奪われ続けていく。

確認するまでもなく自分たちは人間だけど、実のところ、ほとんど人間に「してもらっている」またはそう認め合っていると表現する方が正確なのではないかという感覚にしばしば陥る。生きている限り、自分自身の意識や肉体という個が「人間」なのか「私」なのかという問題に常に悩む。どちらでもあると考えることはどちらでもないと考えることと同じくらい易しい。

この世には存在を感知できないほどにたくさんの人間が確かにいるようで、言葉も通じなければ一生個人と認識しない人がほぼすべてを占める。「私」が「私」であるのと同じように、または同じ程度に「あなた」を「あなた自身」であると感じることが出来る機会は人間全体からすると砂漠の砂のひと掬いにも満たないことだろう。

この世にあふれている「感覚」は私という一単位の体感の70億倍あることは間違いないのだが、70億通りの感覚を別個に認めることは、私とあなたは違う生き物であり、私「たち」は人間ではないと考えることに等しい。より死なないように、より恐怖しないように本能が働くのなら、独りで生きていくことができないとすれば、個人が違う生き物であると認める訳にはいかなくなる。まるでひとつの生き物を構成する細胞のように、矛盾する思考をひとつの頭脳に詰め込んだ悩ましい人間そのものになりきらなくてはならない。息を吸って吐くように、自然な代謝として細胞同士は「ある方向」へ行かざるを得なくなる。右手は右へ行き、左手は左へ行くというわけにはいかなくなってしまう。

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人間が営む表現活動、根本的には感情、末端的には言語、身体の外に出た部分では例えば美術や経済活動のすべては「人間であることを表現する」ことと「私であることを表現する」ことに大別できるのではないかと考える。もちろんこれらは自分自身が人間であり私であることに立脚されて混じり合ったうえで吐き出されるものだから、白黒つけることは不可能なのだけど、方向性を帯びることはあると思う。その方向性の是非について感ずるところがあって、それは人が何に感動すべきなのかということについてだ。

人は、それぞれが「私」であることに感動するべきだと思う。そして、私以外にも私がいる。それどころか、私以外のすべてが、それぞれのそれぞれ自身であると完全に理解することに感動すべきだと思う。結果、私は人間になる。人間に私がなることと正反対の認識ではないかと思えなくもないが、これは右回りに書いた○と左回りに書いた○が、書いてみれば結局同じ○になるように、同じことを言っているに過ぎないのだけど、その○が書かれることは、永遠にない。永久に書かれようとし続ける。

ただ、それが○になる場所がこの世にたったひとつだけあって、それが「私」だ。
と、「私」は思う。不思議に人間として。

そうして人間をやめようとすると、果たして人間になったときと同じ形に行き着く。
同じように人間になろうとすると、果たして私になったときと同じ形に行き着く。
というような仕組みになっているのではないかと思う。

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めちゃくちゃに観念的で非論理的なことを書き連ねてしまったのだが、言おうとすると言えなくなるような点があって、それは夢のように書こうとした瞬間に書けなくなってしまう。

いつかそれを表すだろう。

2013年9月3日火曜日

なぜ「こだわり」は起こるのか

ノートリミング至上主義(記録した全データとしての形状を変化させないこと)というような意味で呼ばれる、画像加工を女々しいことであると考える宗派のひとつがある。
シャッターを押したことによって決定された画像の全容のうち、その枠の中から敢えてもっと良く見えるような範囲を切り抜いてしまうことは、シャッターを押す前の段階で、またはカメラを選択する段階でできていなくてはならないのであり、結果として自分の感性について責任をもたない甘えた姿勢であるという教義をつらぬいている。

たとえば正方形の画像として記録される中判フィルムの場合は、正方形のそのままの画像として出力することが正しいことになるため、通常長方形をしている印画紙にそれを現像する場合、短辺方向に正方形を合わせる訳だから、長辺方向の上下に余白を残すことになる。(正方形のマットを使用した正方形の額に額装すれば自然になるが)

ネガをセットするネガキャリアは、ネガキャリアを透過する引き伸ばし機からの光の枠の形を決めるための穴が空いていて、その穴の上にネガを載せるわけだけれど、上記のような感性を証明するために、ネガキャリアの穴をヤスリで削って広げて、この枠の外にはなにも写っていない、トリミングなどしていないということを印画紙上に示すようなことも行われる。透明なガラスのキャリアを使って、フィルムのパーフォレーション(フィルム本体の上下に連続して空いている穴)まで印画する主義の人もいる。

個人的にはトリミングはまったく許容できる範囲だと思っている。
そもそも正方形のネガができあがる中判フォーマットというのは、35mmフィルムのカメラに比べてカメラ本体が巨大で重たいし、二眼レフカメラのように、カメラを横倒しにして構えることができないわけではないが困難であるハード的な事情からして、そもそもの根源が「あとからトリミングすればいいように、フォーマットを正方形にしてしまえ」という発想で正方形になったという話を聞いたことがある。(本当のことかは不明)

しかしながら、上記のようなノートリ至上主義以外にも、そういう従うべきルールというか、破ってはいけない信条というか、そういうものに縛られたり守られたりすることに、ある種の美しさとか潔さを感じるという気概には強い共感を禁じえない。情報社会化とか技術の革新などによって、そういう気概が失われていっているという嘆きに近い感情についてもまったく想像に難くない。(本当に嘆かれるべきことかどうかは別問題として)

個人的にも、写真に関わるようになったごく初期、生まれて初めて自分のカメラとして所有したおもちゃのようなホルガを使いながら「一眼レフを使うなんてとんでもない!」と思っていた。なぜなら、カメラの前にあるものに対してカメラを構え、シャッターを押すという行為について内省するとき、一眼レフカメラというのはファインダーから見ているその像そのものが正確に反映されるために、逆に言えば「失敗するべきだったときにそれを事前に察知して回避することができてしまう甘え」だとか「妊婦の腹の中を確認して、気に入らなければそもそも無かったことにし、望ましい子供だけを選んで生ませる」というような非神聖的・非人道的な領域にあるものだという感想を拭えなかったからだ。

ホルガの破損だとか、それまでに感じ得たもろもろの考えの広がりから一眼レフを使うようになってからも、こういう自縄自縛は続いた。「なぜシャッターを何度も押すのか。本当に心が決まっているのなら、たった一度でいいはずだ」という気持ちはものすごく強く、それはフィルムという有限のメディアを使っていることに対してのプライドというか、ビデオカメラの録画を後から一時停止するかのようにいくらでも無節操に連写できるデジタルカメラに対する侮蔑の念が意識にこびりついていて、それが奇妙な「こだわり」として表面化していた。今ではきちんと多段露光する。

結果として、そうした珍奇と思えるようなこだわりも、今では大切な思い出として制作に対する意識の血肉になっている。骨と言ってもいいかもしれない。昔のネガ帳を見ていると、1コマ1コマが張りつめて、息の詰まるような不自由が濃密に思い出される。せめて前後にもう1段ずつ露出を広げたものを計3コマ撮っておけばよかったのに…と思わないでもない。実際にそうしておけばきちんと像になっていたものもたくさんあった。でもそれでいいのであるとしみじみ思う。義務やクオリティが要求される業務とは違って、結果として失敗したことを許される個人的な行為であるからこそ、そう思うことを許されるにすぎないのだけど、社会や概念がどんどん進んでいく中で、こういう非効率的で、ばかみたいな「こだわり」に、とても合理的とは言いがたいけれど、奇妙な慈しみのようなものを感じてしまう。そしてそれらが、一般常識として殺されていくように思えてならないような不安も。

実際、自分もどんどん変化していくことだろうと思う。
カラー写真をやるようになるかもしれない。デジカメだって使うようになるかもしれない。写真なんてやめてしまうかもしれない。でも、今こうしてしがみついている「いつか死ぬであろうもの」を、たった今こだわっていることに、少し生きること自体を重ねてしまう自分がいるのである。

2013年8月31日土曜日

暗室に対して感じていた苦痛と現在

自分の暗室を持って「モノとして紙としての写真」を制作するようになったのは実際ここ1年くらいのことで、当初はやってもやっても全く思う通りにならず、正直な感想としては「なんでこんな、しんどくて、面倒くさくて、こまごまとした出費に悩むようなことをしているんだろう」という感じで、過去のネガなんてなおさら発表したスキャンデータがあるんだしいいじゃん…という気分になって、ろくにプリントしないまますぐに暗室を畳んでしまったりしていた。一時期は「もういやだ!!」と思って引き伸ばし機を部屋の床におろして布をかぶせてほったらかしていた。

とにかく大きく感じられた要因としては「思うようにならない」という点に尽きていて、しかも(こうしてみたらどうだろう?)とか(こうしたときとこうしたときの比較をしてみよう)とか(自分で確認した結果のデータや統計を吟味してみよう)というひとつの動作がめちゃくちゃ面倒くさくて、なぜ面倒くさいと感じるのかというと、デジタルデータをいじくり回す方がはるかに簡単で、早くて、お金がかからなくて、一時中断しやすくて、何より発信しやすかったからだと今になってみて思う。

「思うようにならない」と感じてはいたものの、ではその「なってほしいイメージ」つまり、自分がどういう像を印画紙に結びたかったのか?というと、その時はそれまでに自分自身で慣れ親しんでいた自分で発表した自分のネガのデジタルデータとしての像を暗室で作り直そうとしていた、ということに後から気がついた。

わざわざ暗室を構えてまでネガをプリントにしようとしているのに、どんなプリントになるべきなのか?というイメージが「既に以前自分で作ったデータのやり直し」なのだから、そういう心意気のまま暗室にいても「最高にうまくいったとして、やっと過去の自分に追いつく」という構図なのだから面白くなるわけがないのである。苦痛に感じるのも当然のことだ。(今になってみればであって、当時は本当になぜ苦痛なのか謎だった)

5月のデザフェスは「せかオム」ブースに参加するというかたちだったんだけど、本格的にやる気になったのが開催まで残り100日を切った段階で、とにかく形にしないと話にならないという気持ちの焦りもあって、一旦自分にとっての暗室のあり方について真剣に悩んでみて、やっと上記の理由に思い当たったような感じだった。

撮影「するまで」と、撮影「してから」を完全に分離して、自分は生まれて初めてこのネガに出会ったのだという設定で、なおかつ(これは俺が撮ったネガではない)とまで自己暗示するような面倒なことをしないと、撮影という脳内イメージを外に出す行為と、既に外に出てしまったネガを自分のイメージとはもう関係ないただの物体として素直に向き合う行為を区別できなかった。

それまでの、モデルさんが決まる⇒構想⇒撮影⇒ネガスキャン⇒画像加工⇒発表⇒おわり、という流れが染み付きすぎていて、これを忘れないと(忘れるというか違うことをやっているのだという自覚ができないと)新しくなれない!とハッキリ理解してからは、かなり順調に暗室技術に対しての意気をコントロールできるようになって、今も続いている。

2013年8月30日金曜日

最近のできごと

・5月のデザフェスの展示を目にかけてくれたギャラリーの担当者から連絡があり、中国上海アートフェアというイベントの日本のブースに作品を展示しないかともちかけられた。公的な場所(ネットももちろん公的な場所だが)に自分の作品を展示したというかモノとして物理的に展示できるようになったのはデザフェスが初めてだけど、予想以上の成果があってうれしい。ポートフォリオをギャラリーに預け、関係各位に品評と選定についての意見を依頼した。自分以外の人が自分の作品をどう感じるのかということにあまり注意を払ってこなかったので、緊張する。

・11月の次のデザフェスへの出展が決まった。出展できるのかどうかは完全抽選ということだったが無事当選。次回も「せかオム」名義で合同ブースとなる。前回は2ブースぶんのスペースだったが次回は3スペースになり、大きな反省点が残った展示形態も見直して、ポストカードとか小冊子とか大カビネくらいのRC紙写真とかの、ごく安価なスナック気分で購入できるモノを多く出す。前回は「なんとかカタチにする」という感じだったけど、次回は作品をすべてバライタ紙に変更、壁面投射による大きな作品にも挑戦したい。壁面投射は今後すごく重要になってくる技術なので、機材は丁寧に作りたい。

・作品のスキャンデータを公開していたサイト(リカヒノロクフ)をアップロードしていたアスリアというサーバが事業を畳んでしまったようで、サイトが消滅した。ホームページの構成をrapeme.orgとかtumblr.みたいなズラッと並べてスクロールして閲覧する形式にしたかったので、この機会に作り直す。暗室で自分の写真をモノとして制作し直すことに本腰を入れ始めてから自分の写真の見え方とか考えが変化してきたこともあり、サイト名もfffkrow.jpn.orgに変える。本当はfffkrow.orgがよかったんだけど、お金がかかるのとrapeme.orgをあまりにアレかと思って無料で取得できる.jpn.orgでいいか〜となった。

・諸事情から今までのネガを最初から全部スキャンし直したいんだけど、あまりの物量と作業量を前にすると悩ましく思われる。単純作業だし、もし唸るほどお金が余っていれば誰かにバイトをお願いしたいのだけど、他人の介入を許す部分と許さない部分というその一線を越えることについては非常に慎重になるべき。自分でやれっていうだけの話。