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2014年8月14日木曜日

森山オナ太郎の奇妙な冒険

作ろうとして作ったものと、作ろうとしないで作られたものについて。

自分で自分に名前をつけて、自分で自分の作りたいものを決めて、自分で自分の作ったものに何かを与えたり、逆に何か得たりすることについて。

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このごろ、まったくやる気がない。
実家に帰ってきてから、ホームセンターでバイトをしながら、やる気のあるときと無いときを行き来しつつ、毎日をボンヤリとやり過ごしている。

なぜ自分は地元を離れたかったのかとか、地元を離れて何を感じていたのかとか、いざ帰ってきてみて何を思うのかとか、そういうことをグルグルしている内に、ジワジワと気がついてきたことがあって、それをどう受け止めるか、またはどう逃げ仰せたり覆い隠すのかとか、そういうことに腐心したり、逆に満足したりして、変にボンヤリしている。

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上京してしばらく、自分の作品を拙いなりに自分なりの考えでやってきた中で、明確に自認して言えたことがひとつだけあって、それは、画面の中に浮かび上がる要素のすべてをチリひとつ見逃さず、存外の要素の一切を許さず、そこにあるべきものを完全に自分自身で掌握して、そして支配するべきであるという考え、もっといえば信仰だった。

「そこに写ることを許したもの以外が写ることの一切を許さない」ということ。
「それがこの世に出てくることをあらかじめ許諾する」ということ。

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自分は、三兄弟の末っ子として育ったのだが、14歳のとき、急に弟が生まれた。
そのとき両親は四十代の後半にさしかかっており、明らかに危険な妊娠だったという。

これは後から、というより最近になって判明したことだが、自分を含む四兄弟は、全員がいわゆる「できちゃった」ものであり、計画もクソもない、何の意図もない自然の産物であったそうだ。

今にして思えば、弟ができたとき、そういうことをうすうす感づいてはいたのだけど、それを良いとか悪いとかで考えるには、自分はまだ幼すぎて、なかば自分自身の出自をも肯定できるように、自分たちのことを、ある方向性を持って自認していたように思える。

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最近、うれしいことがある。
それは、東京の人に「帰ってこい」と言われることだ。

こういう事態になって初めて思ったことだが、こういう嬉しい気持ちだとか有り難さとかいうものは、俺が自分で「制作」したものではないということだ。

自分は東京で、必死こいて「作ろうとするものだけを作ろうとした」つもりでいたけれど、結局のところ、この心を歓ばせていたものは何かというと、この手で直接に生み出したものではなくて、そこから自然に育っていったものだということだ。

制作を通じて知り合った人たち、一緒に暮らしてきた人たち、自分や、自分の手で生んだものを好いてくれる人たち、嫌ってくれる人たち。

みんな俺のコントロールの外にあるものばかりで、それらは何ひとつ、俺の意思を汲んだりはしてくれないし、何より「汲まずにして」そこに在ってくれる。

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自分が作ってきたものは、とても冷たいと思う。
自分のコピー、この心の鏡像、この自分の何かしら。
それらは自分の死体、愛すべき自分の死体だと思った。

果たして、自分はなにを殺してきたんだろう、なにを殺したかったんだろう、そういうことをボンヤリと、逃げ隠れしながら思っている。

2014年8月5日火曜日

カメラがぶっ壊れた話、など

カメラが壊れた。シャッターおりない。
カメラがいつ壊れたのかは見当がついているのだが、ちょっと不思議なことがあった。

愛知の実家に戻ってから、名古屋でもモデルさんが見つかった。わざわざ実家に来てもらったのだが、いろいろ準備をしている合間に、使っているカメラがどういう動きをするのかとか雑談がてら説明していたときには、ガシャコンガシャコン動いていたので、カメラは正常だった。それから暗幕も照明もカメラもセットして、あとはレリーズを押し込むだけで写るという段階まで持ってきて、そこでダメになってしまった。ダメになってしまったのはカメラの方ではなく、自分の方だったのだが。

どうしても最初のシャッターが切れなくて、ポーズも良く見えないし、光も良く見えないし、何より「ここで切っても気持ちよくない気がする」という雰囲気が加速度的に重たくなってきて、結局はただの一度も指を押し込むことなく、撮影自体をあきらめてしまった。

もうひとつ、撮影とは別にやろうとしていた制作も、とても首尾よくとは言えない結果におわり、失意と無念に沈んだ。

おそらくこのとき、既にカメラは壊れていて、もし半端な気持ちで、とにかく何でもいいから写ってくれや!と思って撮ろうとしても、たぶん物理的にできなかったんだろうと思う。

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それからほんのしばらくして、違う方法で改めてやってみようと、ブツを撮るためにカメラを用意したら、シャッターがおりなくなっていた。ウンともスンともいわない。ダイヤルの類いがカチコチになっていてどうにもならなかった。

症状を調べてみたところ、内部のネジの一部がすり減って機構の一部が連動しなくなっているような状態になっているらしかった。ゼンザブロニカは大変に古く、ヘンなカメラなのだが、今でも修理してくれるメーカーがあるので、そこまで心配はない。

しかし、修理するよりも、もう一度ほかの個体を買い直した方があきらかに安く済むし、またはこれを機にブロニカS2を卒業して、ついにRF645に乗り換える時か、といろいろ思案した。

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昔、大きな事故をやって、大事にしてたバイクを廃車にしたことがある。直すにしても新車を買い直す方が安かったので、そのまま潰してしまったのだった。

地元に戻ってからというもの、忘れていた古いことをたくさん思い出すようになった。
東京での生活、制作をする自分になる以前のことだとか、人とか記憶とか感覚だ。

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壊れたカメラは、直せるときに直すことにしようと決めた。
新しいカメラもおそらく必要ない。

昔、自分はカメラマンではないと思う、というようなことを書いたのだが、地元にいて、昔の自分と再会していると、もう少し違うことを思うようになってきた。

もともと、自分はクラフターみたいなもんだと思う。カメラを手にするまでも、してからも、たぶんずっとそうだった気がする。写すべきものの前にカメラを「持っていく」のは嫌いだったし、レンズの前に、写るべきものを切って貼って組み立てて「持ってくる」のが好きで、カメラはそれを見ているだけの方がいいのだった。

微妙にふっ切れたのもあって、今までと違う場所で、やり方で、気持ちで、ちょっとだけ違うことをやり始めているこのごろであった。


2014年6月6日金曜日

中間点

きょうプリントしていたネガは、割と手こずった。

プリントしながら、自分の中で、今までにすんなりとうまくいったプリントと、中々うまくいかなかったプリントは、何が違うのか考えていた。

手こずるとき大きく3つ状態があるように思う

1)テストはさっくり進むが、なぜか本番になっていきなりズレる。
2)テストそのものが難航する。その代わりテスト通りに本番もすんなり焼ける。
3)テストでも狙いが絞れず難航し、本番においてもガクッと変化する。

テストが役に立たなくなる場合の大きな原因は、テスト用と本番用とで紙の種類が違うということがまず思い浮かぶ。わざわざ違う種類の紙を使うのはテストにならないとも言えるのだけど、本番用の紙はテスト用に比べて倍近く高価で、しかも処理が大変だ。紙のスペックというか、紙の表面に塗布されている感光剤の種類だとかその感度や幅は両方とも一応同じことになっているので、それに甘んじていることが問題といえば問題なのだが・・・

1)の場合、テストのやり方自体が悪い。
2)の場合は単純に目が悪い。
3)は全部悪い。

【結論】知識と経験と技術と勘が足りない。
【対策】気合をいれて根性を叩き直すか、高いところから飛び降りる

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ふと、考え方を変えるというか、認識を少しズラしてみることにした。

まず、今の自分の頭には「思い描く理想の通りに現実が追いついてきてやっと合格」という思いがあるが、これはけっこう自分自身を強迫するものがある。よろこびが足りなくなる。今までもこういう性質のせいで、随分と悪い方へ悪い方へとハマり込んでいったものだ

もとより決して簡単すぎはしないことをやっているのだし、そういう乗り物に乗っかってしまった以上、それが自分の思い通りのラインを描いて、最速のタイムを叩き出せて、実現できて当然と思うのは間違いだ。間違っているのは運転手の方なのだ。

非実在的な「あそこ」まで到達しなくてはならないという思いに駆られるばかりだと、なにが悪いのか?という減点ばかりしてちっとも楽しくない。そういうのは必要な分だけにしておいて、基本的には、今できるのはここまでで、ここまでは実在させられるので、この既に過去になった現実の現在から、どうしたら良くなるか?という方が、よろこびを得られる気がする

自分自身を高く評価してしまう驕りや傲慢が過ぎると、作品や制作行為そのものを責めていることに気づくタイミングが遅れる

誰も何も、俺に命令しないのだから、どこへも行かなくていいような気がする。

もちろん、どこかへ行かなくてはならないんだけど、それは必要に駆られているに過ぎなくて、たった一人きりの自分の世界の中でだけは、本当に自由になれるようになりたい。

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もし本当に一人きりになれたなら、世界に一つだけの心になれたとしたら。
あらゆる「実在」から解放された、もしそんな場所や境地があるとしたら。
たぶんそこでは、神か仏か悪魔か、そういう「無いもの」とすれ違うような気がしてならない。

2014年5月31日土曜日

雑記

・パソコンが破滅した。iMacの2008年モデルなんだけど、だいぶ前に内蔵のHDDが破損したときなんとか外付けHDにOSをインストールして、以降はそこから起動するようにして誤魔化していた。しかし、ついに本体側のビデオカードだかロジックボードだか何とかがいかれてしまい、画面がシマシマになってしまった。どうやら修理するとたいへんな値段になるみたいだし、パソコンも消耗品なのだなあと、幾度めかの実感をしたのであった。

・ここのところ、毎日プリントしている。たまに気分が落ち込んでグッタリしているときもあるけど、総合的には前向きに暗室に取り組めている。

・精神的な調子がはずんでいるときは「できない」ということが改善の余地そのものに思えて、もっとやろう、もっと練習したり研究したい!という気持ちのもとになってくれる。テンションが低くなってくると、とにかく何かにどこかに届かせることだけが目的になって、まだいけるところに目をつむるような働きが強くなってくるように思う。

・とはいえ、見切った!とか、理解した!と思った直後かしばらくしたくらいのころに、それは勘違いというか、そう思った、そういう感想をその時は真剣に抱いた、ということに過ぎないことがわかって、また振り出しに戻る。ヨッシャ!と思うと、とたんに振り出しに戻る・・・

その繰り返し自体を、好ましく思えるときと思えないときがあるんだなということを、性懲りも無く何度も何度も繰り返し続けてきている。進歩がないのか!?と思うけど、そもそも進歩って何なの?というところに焦点を当てても、結局それも、⚪︎⚪︎が××したら、という身勝手な印象とか理想を追いかけているだけであって、げに「良さ」というのはことごとく夢幻のようなものだなあと思ったりもする。

・自家中毒がお家芸みたいになるとみっともないなぁと思う。誰かに褒められたいみたいなところに傾くのも怖いと思う。何のために?というのを「良さ」のために、と言い切るのも逃げている感じがして居心地が悪い

・生きている実感がある、とわざわざ確認しないようになれたらいいな〜。

2014年5月24日土曜日

くるくるパー

たまに、自信というものについて人と話し合う機会がある。

自信があるときと無いときの差が激しくて自分自身の生き方のパフォーマンスにムラが出てしまうだとか、生まれてこのかた自信をもてたことなどないし、根拠の無い自信をもっている人間を憎んですらいるだとか、そんなことをあーでもないこーでもないと話し合う。

自信は、生きていくうえでたいへん大切か、またはまったく役に立たないかというところに集約して、大まかな結論としては、だいたい2通りに分かれることが多いように思う。

それはつまり「生きよう」もしくは「死のう」という方針だ。
白か黒か。

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いろいろあって自分は一回死んだと思っている。

それはつい先日のことで、この自我はそのときドカンと爆発して急激に冷却され、今はふたたび平常に活動を続けているのだが、そのことを振り返って考えるとき、それまでと変わっていないことと、変わってしまったこととがあるように思える。その項目はたくさんあるので、いま書きたいと思っている点にスポットを当てたいが、関係ないようなことも交えて気分の向かうままに書きたい。

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・濃い影と薄い影

以前から、誰かと会って話したり、一緒に仕事をしたり、たまたま同じ電車の車両に乗り合わせていくつかの駅を通過したり、交差点ですれ違ったりするとき、人の影の濃さというか、存在している感じが強い人がまばらに見つかる。ような気がする。

ある人が、鉛筆でデッサンを描くとき「影」の描き方についてあることを発見し、それから上手に「影」を描き表すことができるようになったが、その代わり、巨大なビルが作り出す巨大な影に対して恐怖を感じるようになった、という話をしていたのを見かけた。

その「影についてのあること」というのは、影は「穴」であるという考え方だそうだ。
その話を見かけたとき、以前から感じていた、存在感を強く発している人物というものについて、符合するものを感じた。

光が何かにぶつかって、何かが光を「遮っ」て、その結果として穴が空いてしまったエリアを影とするならば、その「穴」に、深さというか、不透明感の違いを見ているような気がした。

より黒く、より深い「穴」をつくりだす、存在という「障害物」の透明度が低ければ低いほど、ふりそそぐ光をより遮れば遮るほどに、穴は黒く深くなる。

これは暗室での引き伸ばし作業についての印象と完全に一致する。
ネガを通り抜ける光、その光を受け取った分だけ黒く焼けこげる印画紙。

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・透明度の低い障害物

透明度というのは、光をどのくらい通すのか、どのくらい光に「通過されてしまうのか」というイメージで、光、というよりは「自分以外のすべて」と言い換えた方が良い気がする。

外部の世界(光)と、よりリンクしていて、より呼吸していて、より「光」を吸い込み、より何かを「遮って」いる存在というのは、光が通過しない。ふりそそぐ光を食っていて、取り込んだ光を消化し、その光を違うエネルギーに変換して、それを排泄している。それに光が当たった結果、黒く深い穴ができる。

外部の世界(光)と、ほとんどリンクしておらず、ほとんど呼吸をしないで、排泄とかエネルギーの交換をしていない存在というのは、光が通過する。それに光が当たった結果、透明な影ができる。

それに善悪があるわけではなくて、ただ、かたちと諧調と濃淡とが無機質に現れているだけだ。

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「少しも露光していない透明なネガ」が真っ黒な印画紙を生み、「完全に感光しきった真っ黒なネガ」が真っ白な印画紙を生むように、これは極端と極端を観察している状態に過ぎない。

人間をある状態のネガに例えること自体はただの夢想の域を出ないのだが、少なくとも、実際の写真においては、そのネガの中に、何が、どのようなかたちや諧調や濃淡をもって宿っているのかを、「真っ白と真っ黒」のはざまで、膝を突き合わせて観察する。

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自分のうしろに、または頭上に光があって、その光は自分を貫通し、その影が自分の前方に、または地面に影を落としている。

その影の姿は、自分の写真だ。

自分の心は、ネガという反転した存在であって、ポジとしての現実がつまり「自分以外の
すべて」であるなら、ネガという心は「すべて以外の自分」だ。

まず光があり「その下で」何もかもは完全に鏡映しになっている。

光と影が直接にあるのではなくて、まず光があり「その下で」ネガとポジが完全に反応している。

その光というのは、たぶん命のことだと思う。

そしてその光は無数に散在しているのではなくて、ひとつの太陽と無数の星々との関係のように、思い切り言ってしまえば、命はひとつしかないのだと思う。

「自分」は、その光の下で、ネガとそれを通り抜けた像を現している。

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「生まれたら死ぬ」ということを「死を生んでいる」と誤解することをやめるべきだ。
それは真っ黒な、または真っ白な印画紙であり、なにも写っていないことに等しい。

「何かが写っている」ということに、注意を払わなくてはならない。

2014年5月17日土曜日

プリントにかかるお金とその節約について

写真と暗室技術について発信するという名目で書いているこのブログだけど、いつも抽象的なことばかりで具体的なことを書かないので、今回は役に立つ(?)ことを書きたい。

まず、暗室は、けっこうお金がかかる。
つい先日、富士フイルムが暗室関連用品の価格を全面的に【3割増】するという衝撃的なニュースを聞いて絶望したものだが、それだけもうニッチな産業になってきてしまったということだ。

別にどんな趣味でも生業でも、かけようとすればかかるし、かからないようにすればかからないわけだから、やり方の問題なんだけど、ちょっとした工夫で出費を抑える効果が出て、なおかつプラスαの効果が出たらサイコー!だと思うので、この暗室で実際に行われているプチ財テクを紹介します。

(そもそも暗室の競技人口が少ないので、他の人には役に立たないのだが…)

そもそも、暗室にかかるお金とはなにか?というところまで細かく遡ると大変なので、ひとまずプリントするたびに減っていくもの、消耗品について。今回は特に【紙】を節約するツールに絞って紹介したい。

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プリント(引き伸ばし)とは、ざっくり言うと、ネガというオリジナル情報を「どのくらいのサイズで、どのくらいのコントラストで、どのくらいの濃さで」印画紙に焼き込むのか?ということだ。テストプリント、とひとくちに言っても、さまざまなテストがある。

暗室の世界では、コントラストは「号」という単位で判別される。

※コンピュータ上でいじくったコントラストなので実際とは少し違う

もうずっと昔には、このコントラストの違いを、コントラストが「低く焼ける紙と高く焼ける紙」を別々に用意して、適切なコントラストで焼ける紙はどれなのか?というテストをしていたらしい。これを「号数紙」というが、現在では圧倒的に数が少なくなった。

それでは不便だし金がかかってしょうがないということで、1枚の紙の上で自由にコントラストを変えることが出来る紙が発明される。それがバリグレードとかマルチグレードとか呼ばれる、現在主流になっている紙だ。

これは引き伸ばし機のレンズの下に色の違うフィルターを挟んで光の色を変化させるもので、マルチグレードの印画紙の場合は、反応しやすい色が異なる複数の薬品が何層かに分かれて塗布されている、みたいな仕組みになっている。

当時はこの画期的な紙について、保守的な勢力は「号数紙の方が諧調が豊かだ!」とか「こんな紙でまともなプリントができるものか」などと散々に叩いたらしいが、時代の移り変わりとともに、金のかからない便利なものが残っていったようである。

そして、次第に「ネガの要らない、プリントの必要すら無い」時代へと移行してゆく。

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ということで、号数を変えるためにはフィルターを変えるわけだが、その次は「どのくらい焼くのか」というテストがある。

印画紙は一般に、長時間光を当てれば当てるほどに、現像したときに色が濃く出るので、ちょうどいいところで光を当てるのをやめなければいけない。

その焼き具合を見るのに「ストライプテスト」というものを行うことがある。
専用の道具もあるにはあるが、いかんせん、高い。かといって手作業でこれを行うと、段差がまちまちになったりして気分が良くない。

作ってしまえ!ということで、印画紙の空き箱でストライプテスターを作ってみる。

ストライプくん1号

大カビネ(ハガキくらい)のサイズ

ジェンガのブロックを使用している

ジェンガを敷き詰めるとこうなる

1つ取り除いた状態で「1段目」を焼き込む

2つ目3つ目、とズラしながら、違う焼き時間で焼き込む

すると、こういう「同じ号数で8段」の時間差プリントができあがる
※もちろん、同じ焼き時間で号数違いのテストもできる

きわめて贅沢に、この1段1段を、紙の全領域を使ってバンバン焼いては現像して…という方が、より広い範囲のネガ情報を確認できるわけなんだけど、そんな金はない!

ので、これでだいたいの秒数を探ったら、次はもう少し大きな紙と大きな領域を使って、もうちょっとだけ贅沢に、より探る範囲を狭めてテストプリントをする。

ストライプくん2号(六切用)

うしろから指で押して紙を外すための穴が空いている

こんな感じにビラビラしている(5段)

暗くても見えるように、ツマミは白い紙でできている

ズラして焼いて、ズラして焼いて

こんな感じに「5段」焼ける。5枚焼くより安い!


結局のところ、なぜこのようなテストが必要なのか?というと、修行が足りないからなのである。もし神業的なイカレプリンターがいたら、ネガをちょっと光に透かして眺めただけで「うーん、3号で8.3秒…で、さらに4号半で2.7秒、黒を沈めましょう」と言い当てるのだろうが、残念ながら今はその境地に近づこうとすることしかできない。

もちろん、今は「ボタン一発」で、それが実現するのだが、果たしてそれは「実現」なのか?というところにいくと話がブッ飛ぶので割愛する。

巧くなればなるほどに、テストプリントの数は少なくなる。というと語弊があるが、より良いプリントの追求に必要なテストの、何をどうテストしようとしているのか?という宝探しの、広大な土地を掘り返す範囲をより狭くしたぶんだけ、より深く掘り返す時間とお金とが生まれることは間違いない。

ネガの性格、暗室の性格、そして何より、プリンターの性格によるものが大きいが、テストプリントには、本番の作品と同じくらい、たくさんのおもしろい個性が潜んでいるものだ。

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【おまけ】すべてのネガにつけてる手書きのプリント記録



2014年5月15日木曜日

暗室との戦い 1・2・3

”ネガは楽譜、プリントはそれを演奏するようなもの”
という、暗室の世界で非常に有名な一節があるが、個人的には、撮影(ネガ作り)は記憶することで、プリントは思い出すようなものだと感じる。

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撮影(ネガ作り)は、たった一度しか訪れない時間とたった一度だけ切り結ぶようなものだから、常に緊張感があって、気分が高揚する。今のは完全にキマッた!!というシャッターが切れると、スカッと突き抜ける快感がある。撮り切った!という瞬発的なキリのつき方が速い。

一方、暗室作業は、繰り返し繰り返し同じことをやり続ける性質が強い。気持ちが落ち着いていないと、自分が求めているものと実際に出来上がったプリントの違いに対して冷静に判断を下すことができない。黒ともっと濃い黒の、白ともっと明るい白の、さっきと今の、今とこの次の、その差を見極める眼の力の勝負で、ここで終わりというキリが存在しない。

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完全に同一の「演奏」が出来ないように、厳密に見れば二度と同じプリントはできない。
現に、過去につくったレシピを再現しようとしても、なぜか微妙に結果が変わる。
それは季節による気温や気圧の差、薬品の原液のボトルを開封してからどれだけ時間が経っているか、それを希釈してからどのくらいの時間が経っているか、希釈液の温度、バットを揺らす強さ、引き伸ばし機が接続されている電源の電圧の揺らぎ、などなど、挙げられる理由を数えればキリがない。

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暗室技術を身につけるのは相当に面倒だ。
これは自分の無精な性格によるものなんだけど、実際にプリントができる道具を一揃い用意してから、コンスタントに「やる気」が出るまでには相当な時間がかかった。一年以上かかったと思う。

生涯初のプリントを手取り足取りで教えてもらったときには「スッゲー!!」という興奮があって、いざ自分のネガで「修練」の時期に入ると、たちまちプスプスと煙が出てきて、完全に意気消沈し、こんなのできるわけないという暗黒期に突入した。

時は過ぎ、春のデザインフェスタへの出場が決まって、あと100日のあいだにブツを用意しないと話にならない!という段階になって初めて、地味なうえに練達が進みにくいプリント作業に対して肚をくくることができた。

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その100日のあいだに暗室と暗室に対してネガティブだった自分の心と向き合ってみて、最初に発見したことは、気持ちが揺れているとプリントも揺れるということ。

仕上がりが揺れるというのは、プリントに対して、それがどういうプリントなのか、自分で分からなくなるような状態だ。

良いのか?悪いのか?さっきより良いか?さっきより悪いか?
そもそもどこへ、どんな仕上がりのイメージに向かって、なにを改良しているのか?
その改良の仕方は、ほんとうに改良なのか?改悪なのか?
白いのか黒いのか?

ネガはひとつなのに、それをどんなプリントにするかには、ほとんど無限の選択肢がある。
(ネガ作りもそうだけど、ネガ現像はたった一度しかできない。)

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春のデザインフェスタを終えて、それなりにプリントができるようになってくると、次は秋のデザインフェスタにも出られることになり、大全紙のプリントにも挑戦するようになった。

暗室との格闘も二期目になってくると、撮影(ネガ作り)とプリントは実は似ているのではないか?と思えるようになってきた。

暗室は、大きな大きなカメラのようなもので、その中に自分が入っていて、ネガという現実を何度も印画紙を使って「撮影」しているのではないか?という感じがしてきた。

もしも時間を巻き戻すことができるなら、たった一度しかできないはずのネガの現像を何度もやり直すことができるなら、おそらくプリント作業と同じような「キリのなさ」に呆然とするに違いない。

それは逆の感じ方というか、一段遡った捉え方というか、ネガという一点からプリントが無限に枝分かれしていくという捉え方から、そもそもネガ自体が無限の可能性から選ばれている一点であって、強制的に一回で決まってしまうか、どこへ決めるのか今から吟味するかの違いでしかないということに気がついた。

これはつまりデジカメでいうとRAWデータを何度も現像することなんだけど、デジタル一眼についてまったく知らない状態でクラシックカメラに突入したものだから、その時までは想像もつかなかった。

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またまた時は過ぎ、東京での暮らしをリタイアして田舎の実家に生活拠点をうつし、暗室のパワーアップに着手し、今は暗室との格闘が第三期となった。

春のデザインフェスタは残念ながら抽選にもれてしまったので、今期は「せかオム」の一員としての名義では活動がない。

まったく情けないことに諸々の個人的なダメさから果たすことができていなかった写真やプリントがらみの約束を、ひとつずつ追いかけている。

ちかごろは、心が揺れているとプリントも揺れるのは、プリントが心の状態についてこれていない状態だったから、そうなっていたのかもしれない、と思えてきた。

プリントが安定してくると、気持ちも安定する。
これまでに蓄積したデータと数字、プリントの良し悪しについて自分なりに考えてきた根拠のようなものが、半自動的に、定めるべき一点をおぼろげに指し示してくれて、たとえ気持ちがザワザワしていても、そこに向かって仕上がりが集中するようになってきた。

もちろん、その「点」が、まったくおかしな座標を向いていないとも限らないのだけど、なにせこれから仕上げるものの可能性は無限にあるわけだから、なにかに頼らないとどこへも行けない。

なんだかんだで、暗室との、暗室技術に対する自分自身との戦い方が、多少は固まってきているのかなぁということを思っている。

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2014年5月12日月曜日

自分を占う

十代の頃は、桜が咲く頃から散る頃までにいつも悪いことが起こっていた。

予防接種をしたのかよくわからない水疱瘡にかかって身体中かさぶたまみれになったり、高校の入学式の前日に腹膜炎寸前の盲腸で担ぎ込まれたり、交通事故で右脚をへし折ったり、大阪に引っ越すための部屋の契約をしたその日に振られたり、だいたい1年おきに起こっていたマズいことは、つまり「アンラッキー」であると当時は体験や記憶を処理していて、どこか遠いところから飛んできた鳥にひっかけられたウンコのようなものだと思っていた。

ところが、成人して、上京して映画制作会社に就職したときから何かが変わってきた。
自分の世間知らずが露呈して恥ずかしい思いをしたり、業務上のシビアな問題に具体的な悪影響を及ぼしたり、はげしい叱責を体験したりなど、これまで「アンラッキー」で済ませてきたことが突然に自己責任のもとに逆襲し始めてきた。桜のジンクスなんてお話にもならないと、その時思い知った。

ここから自分の人生の第一部が始まったように思う。
「加藤袋」という名前ができて、人生をそのキャラクターに任せるようになった。それから六年が経って、その間にハチャメチャにいろんなことがあって、東京を離れて実家に帰ってきた。たった六年ではあるけれど、言ってみればそれは自分が「加藤袋」に変身してからの年月であった。

東京にいたころ、自分が最も恐れていたことは「実家に帰ること」だった。実家に帰ることになるくらいなら死ぬとまで思っていた。そのせいで自分の精神的・身体的な状況を追いつめることになったのだが、実際のところ、自分が恐れていたのは実家に帰ることというよりは、自分が「加藤袋」でいられなくなることに恐怖していたということが、終わってみて理解できた。

他人から見ればどうでもいいことだ。

実際、誰にも、それを見分けることも品評することもできない。あくまでも個人的な問題だ。しかし、誰もがその個人的な問題と折り合いをつけるために日々を生きている。

自分はこの自分自身のことを、他人に「どうでもよくない」と感じてほしいと願い祈ることがきわめて多かったように思う。そのために、異様に必死になって「個人的」でいようと努めた。もしも誰かがこの自分のことを「どうでもよくない」と感じれくれたとき、または自分の知る知らないに関わらず、どこかで誰かがそう感じてくれたとき、この自分が個人的でなかったらいけないと真剣に思っていた。

だからこそ、自分と自分が演じる作り出す自分の影のかたちに執着していたのだが、その「加藤袋」というカードがもたらす恩恵と天罰、言うなれば正位置と逆位置についてはほとんど無関心だった気がする。無神経ですらあった。

それから今になって、自分自身で作り上げた自分自身の影にある一定の距離を置くことが出来る環境になってみて思うことは、このカードをできるだけ正しい位置に置き続けなくてはならないということだ。

それが具体的にどういうことを意味していて、実際にどうなるのかは未来のことなのでわからないのだが、想像している。

時間が流れている。

2014年4月19日土曜日

雑記

このごろ起こった出来事など。

・巨大招き猫のラッキーちゃんがやってきた。

戦後から商売で身を立ててきた祖父の家に眠っていた古い招き猫が、縁あってうちに引っ越してきた。

せっかくの縁起ものが埃まるけである

水拭きして磨いて

日干し

どうしてラッキーちゃんがうちに来たのかというと、その前日に、父と常滑(トコナメ)という焼き物が有名な土地に出かけたことがきっかけである。常滑は招き猫の名産地でもあって、茶香炉を探しに行ったのだけど、招き猫も面白かったので、いちばん小さなのを買って帰ったところ、それを見た父が(そういえばでっかいのが倉庫に…)と思い出して、祖父宅から持ってきた、というわけ。

招き猫には身体の色とか、右手か左手かによって招くものや除けるものが違うらしい。

茶香炉というのは、お茶の葉っぱを下から蝋燭で炙って、お茶の香りを楽しむための香炉。常滑が発祥の道具らしく、これで炙った茶葉は焙じたてのほうじ茶として二度楽しめるというスグレモノだ。

四角い茶香炉と、厄よけ&人まねきの招き猫

偶然だろうけど、ラッキーちゃんを磨いて乾かして玄関に置いた次の日、上海のときみたいに、海外に写真を展示できるかもしれないチャンスを告げる電話がきた。

今回は東京は上野で行われる予選を勝ち抜き、今後、中国・韓国で行われるアートフェアへの出場を賭けて、一般投票でその座を競い合うことになった。

美術に順列をつけるのはまったくナンセンスと言えなくもないけど、逆に順列が無いと考えることも同じくらい、何らかに対して失礼なのかもしれなくて、勝っても負けても、今まで避けてきた「そういうこと」を味わう機会としても活かせればいいのかな、という感じ。

・実家の環境を整備中。

東京・三鷹のシェアハウスを抜けて、愛知県の実家へ生活拠点を移した。
もろもろの事情はあるのだが、そのへんは省略する。
さすがに実家は自由度がマックスなので、むちゃくちゃやっている。

キャットウォークを制作。猫が喜んで登っている。

暗室は別室を改造する予定で、まだ設計している段階だけど、ついに、ついに、念願の、【全暗状態で使える蛇口と流し台が完備された暗室】が実現される予定。もう本当にこれがチョーーーーーーー欲しかった。


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さて、上野で行われる展示についてですが、5月7日あたりから、およそ1ヶ月の間、開催されます。そこでは、今までどこにも出していない、加藤が去年の夏に撮影した、東京時代の最後の作品を出す予定です。

気持ちの問題がいろいろ進展して、今はすごく元気だから、正面から向き合うことができなかったアレコレに、改めて取り組むことができそうな予感がしている。

正直、まだ現像すらしていないので、どんなものが出てくるのか、自分でもわからん。
ただ、それで勝負する、と決めたので、やるだけ。

ちなみに、今回はF10号パネルで出します!

詳細はそのうち。

2014年4月10日木曜日

球体について、など。

球体。

wikipediaを読んでみると「ある一定点から一定の距離にある点の集合である球面とその内部にある点からなる集合」と表現されている。

球とか、円には、どうやらたいへんな秘密があるらしい。
ということを、大昔から、たくさんの、あらゆる分野の人々が考え続けている。

西暦1986年に生まれてこのかた触れてきたほんの僅かな知識においてでさえ、
【○】は折に触れてその神秘をちらつかせてくる。

曰く、神とは「円」である。
曰く、宇宙とは「球体」である。
曰く、人間とは、男女とは「半分に割れた球」である。

etc....etc........

そして「無」についても、そこにたいへんな命題があるらしいということを感じ取っており、円や球と同じように膨大な研究がなされているようだ。

曰く、なぜ「何も無い」ではなく「何かがある」のか?
曰く、宇宙の 法則が 乱れる!
曰く、ゼロ

自分も、これらの不思議について考えを巡らし、その謎を解こうとあの手この手でトライとエラーを繰り返す、歴史の末席に加わりたいという希望が芽生えてきた。

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wait and see という音楽を聴いていて、ふと思った。
たしか、この言葉は「静観する」という意味で、子育ての用語にもよく言われている。
ただ、見る。ただ、見て、それを破壊しない。

おそらく、それは「切断しない」という意味だと思う。
切断については以前書いたけど、簡潔に書く。
表現したり、想像したり、あちらからこちらへ持ってくること。
ある何かを、過去と未来を発生させる「今」でもって切断する(してしまう)こと。

写真という表現手段を主に感じ考えている自分だけれども、やはり眼というか、視覚でもって出力する表現形態なものだから、「見る」って何だ?「視る」ってどういうことだ?ということを、ほんとうに性懲りもなく百万回も考え直す。

写真現象と、"wait and see"を照らし合わせるとき、そこに何が考えられるだろう。

・「ただ見る」ことは「カメラを向ける」ことと違うのか?
・「ただ見る」ことと「シャッターを切る」ことは、対極にあるのか?
・あるいは、写真現象の中に「ただ見る」と「切る」が同居しているのか?
・なぜ、人は「見る」のか?
・眼ってなんだ?
・眼は「なに」を見ている?
・心は「なに」を感じている?
・脳は「なに」を考えている?
・俺ってなに?っていうか、だれ?
・なぜ、生まれてきた?なんで生きている?
・なぜ、誰もいなかったのではなく、俺が居る?
・なぜ、居ると感じる?
・なぜ、居るということについて考える?
・なぜ、上記のようなことを、こうしてキーボードで打つ?

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「ただいまと言うことにした」という展示を見に行ったときに強く思ったこと。
時間が停止している感覚について。

彫刻について。
彫刻は、あるものから、ある形を取り出している。
と、同時に、ある形を取り出すために、ある形以外のすべてを取り除いている。
そのある形をかたちづくる点・線・面は、なぜ、その点や線や面をとったのか。
なぜ、そこで、「彫ることをやめた」のか?

彫刻と写真について。
彫刻に感じる「今」とは「それ以上に彫ることをやめた瞬間」である。
その「今」が、彫り残した本体と、彫り去ったゴミに挟まれている。
カメラが切ったシャッターとは「今」である。
その「今」が、ネガである。ネガは、過去と未来を切断している証拠である。
鏡写しになった、オモテと、ウラ。黒と白。そのネガ。
凸凹が反対になった、彫刻と、その彫刻のために発生した、ゴミ。過去。
浮かび上がっている「今」の共通点。
停止した時間。

・なぜそこで彫ることをやめたのか説明できない彫刻
・なぜそこで描くことをやめたのか説明できない絵画
・なぜそこで切ることを決めたのか説明できない写真

etc....etc........

そこには、球体が、円が、点が、隠れているように思えてならない。

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思うところはたくさんあるんだけど、夢からさめたように、書こうとすると消えてしまう。
鍵を探しに行くと、扉が消えてしまう。
どうしたらいいのかわからない。
どうしたらいいのか永遠に考え続ける。
考え続ける中で、無限の方法の中から可能な限り多くの実験を繰り返す。
死ぬまで絶対にやめない。

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パスカル「宇宙は中心がいたるところにあって、どこにも周辺のない、ひとつの無限の球体である」

ヘルメス「中心がいたるところにあって周辺がどこにもない円を神と呼んでいる」

三島由紀夫「個性を超克するところにのみ生まれる本当の美の領域では虚栄心はほとんど意味をなさない。そこではただ献身だけが必要で、この美徳は芸術家と母性との共通点だ」

レオナルドダヴィンチ「すべてはすべてから来る。すべてはすべてから創られ、すべてはすべてに戻っていく。すべては、すべてに包み込まれる」

ウィトゲンシュタイン「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」


※以前、手帳にメモった内容なので、間違っているかもしれない。

2014年3月31日月曜日

冷たくて、静かな・・・

言葉で数字を言い表すことを、命数法というらしい。
10000 = いちまん、といった具合だ。

先の記事で「虚空」について少し触れたが、「虚空」とは小数の位を表す言葉でもある。
「虚空」とは、どのくらい小さな数字なのだろうか。
まず、10の-1乗=分(ぶ)とのことなので…


10の…
-1乗 分(ぶ)
-2乗 厘(りん)
-3乗 毛(もう)


といった具合に、0.1倍していくと…


糸(し)
忽(こつ)
微(び)
繊(せん)
沙(しゃ)
塵(じん)
埃(あい)
渺(びょう)
漠(ばく)
模糊(もこ)
逡巡(しゅんじゅん)
須臾(しゅゆ)
瞬息(しゅんそく)
弾指(だんし)
刹那(せつな)
六徳(りっとく)


ときて、

-20乗 虚空(こくう)
-21乗 清浄(せいじょう)
-22乗 阿頼耶(あらや)
-23乗 阿摩羅(あまら)


と続き、最後に…


涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)


で、言葉で言い表せることになっている少数の命数はおわり。
「ねはんじゃくじょう」なんて初めて聞いたのだが、すごくしっくりきた。

涅槃。そこは、寂しくて、静かなところなのだろう。
安らかなる場所があるのなら、それはきっと、冷たくて静かな、風のない湖の水面のような、鏡に映った虚像のような、きっとそんな、どこにもないような場所なんだろうなぁ、と、ずっとずっと想い描いてきたから。

オリジナルタロットと並行か、タロットの次にやりたい制作を定めた。
命数法シリーズだ。

過去でも未来でもないところは、一瞬よりももっと小さく、薄く、存在感をなくすはずだ。
感じ取れるということ自体が、感じ「取れてしまう」ことを示し続けるからだ。
空気に。虚空に。無になる。それが今になるということだ。
「今」は限りなくゼロに近づく。

考えるな、感じろ。
感じるな、停止しろ。
停止するな、透明になれ。

シャッタースピードの限界に挑みたい。
数千分の1シャッターよりも、もっと、もっと速い、地球でいちばん速いシャッタースピードをどうにかして追求して、同時に、その狂ったスピードに見合うだけの、適正露出になる、想像もつかぬほどにとてつもない光量、まぶしさの限界を追求する。

光速シャッターだけでは追いつかないだろうから、激烈に感度の低いフィルムを自作する。
おそらくピンホールカメラか、カメラオブスキュラの装置にまで遡ることになるだろう。
宇宙を旅行して、太陽を至近距離で撮影するくらいの、現実を抜きさるほどのスピードに近づく。

その限界が【もう無い】という【たった今】の最上級の最高峰が、涅槃寂静なのだろう。
そこよりも先には、言葉は、無い。論理も理屈も物理も関係ない。
ただ、不思議なだけ。

ずっとずっと、探し求めてた「冷たくて静かな場所」は、そこにあるだろう。
そして、これはカメラにしかできない。ほかでは絶対に実現できない制作表現だ。
「無」を撮影する。「虚空」を表現する。カメラには、それができる。

しかし、そこへ辿り着くことはできない。それは真理だから。
物理的な生命に縛られ続けているこの肉体に、それは表現できないだろう。
しかし、表現「しようとし続け」たい。
一生を賭けて、限界まで消滅してみたい。

仮に、世界最強のフラッシュに埋め尽くされた空間で、世界最低の感度と、世界最速のシャッターという三角形を組み合わせたとき、その中心で、時間は停止するのではないか?

そこに写っているべきものが何なのか、まだ知らない。
でも、そこに「人間」がいてほしいと思う。

夢とか現実とか

※下書きに放置されていたものを放出します。

未来は世の中がこんな風になるだとか、近い将来にこんな新しいことが起こるといった話題は、ずっと昔から絶え間なく続いて終わることがない。
そうした話題にときどき出てくる「夢を録画する装置」については、自分でもいろんな想像をするし、もしそんなことが実現するとしたら、すごいことだなと思う。本当に夢のよう。
夢だとか想像ってなんだろう、現実ってなんだろう、この頭の中にあるものと外にあるものは何がどう違っているんだろう、ということを性懲りもなく想像する。

夢を録画するということに限らずとも、人は頭の中にある何かを、心に生じている何かを、この五感でもう一度感じ直すことができるような工夫をずっと続けてきている。

自分がたった今、さっき、ずっと昔に感じた何かを、時間に吹き飛ばされて消えようとしている何かを思い出そうとしても、常に目が覚め続ける眠りのように、それは不確かに再現され続けている。

「理解」 という状態だとか現象が真にどういったことを指すのかはわからないけど、ごく単純なたとえ話のひとつに置き換えるとしたら、知恵の輪とかパズルのようなものを一旦解いて、それをまた元の状態に戻すことが自由にできる状態のことを言うのかなと思う。問題を解くことができるのと同じくらい、問題を作ることができる状態とも言えるかもしれない。先生が生徒に教えようとしていることを察知して、いい質問だ!と言わせるような芸当もそういう状態の発露なのかなと思う。

入っているものを、出す。出ているものを、入れる。
これを何度繰り返しても等しくなっている状態は、あり得るのだろうか?それは、人がなにかを実現するという現象自体が実在するのかどうか?ということになるのだろうけど、さらに言えば、人は何かを感じているのか?ということになり、この心は実在するのか?ということに等しいような気もする。

眠っていたときの無意識を再現できるということは、一分前の自分が確かになって、一年前の、十年前の、生まれてきたことを再現することで、目が覚めているときの意識を五感に入れ替えられるということは、一分先の自分が確かになって、一年先の、十年先の、いつか死ぬことを実現する、理解することなのかな、というようなことを想像してしまう。

人はなぜ占うのか

占い。

占い(うらない)とは様々な方法で、人の心の内や運勢未来など、直接観察することのできないものについて判断することや、その方法をいう。卜占(ぼくせん)や占卜(せんぼく)ともいう。(wikipwdia)

(人によっては)神秘的。不思議。おもしろい。たのしい。
(人によっては)あやしい。偶然。非科学的。無根拠。無意味。

しかし人は日常的に、無意識のレベルで毎日なにかを占っている。
人は説明のつかない非論理的な事柄に対して占いをすることが多い。

あの人は私のことを好きなのだろうか?嫌いなのだろうか?
この料理の味を私は美味しいと感じるだろうか?
この樹木の形は美しいのだろうか?
"そこまでとべたら、じいちゃんは治る"
乗るか反るか。丁か半か。
oh my god!

など、物理法則と数学で完全に説明できないことについて人はそれを我慢できない。
耐えきれないようになっているように思う。少なくとも自分自身はそう思っている。

右脳と左脳の働きについてそこまで知識や理解があるわけではないが、これまでに聞き及んだいくつかの面白い見解を組み合わせて説明してみる。

右脳と左脳は脳梁という神経繊維が束になっている器官で繋がっているが、それ以外の部分は完全に物理的に分離していて、なおかつ、それぞれの機能がまったく異なる。

右脳は「たった今、この瞬間」しか感じていない。
感じるって、なに?というところまで遡るとさらにややこしくなる。
ここでは単純に、感じる、と仕方なく表現する。
全世界の現在そのもの、五感から流れ込んでくるリアルタイムのエネルギーの姿。
それ以外のことに「注目することも、考えることも、認識することも」できない。

左脳は「これまで」と「これから」しかない。「今」というものを認識しない。
川の流れに手を突き込んで水の流れを感じることに例えるなら、これから手に向かって流れてくる水と、手に当たって流れ去って行った水の、その二種類しかわからない。
これは、他人がそのようにしているのを、第三者の視点から観察している状態に似ている。
その「手自体」の主観そのものが存在しない。

逆に言えば、目をつむって、状況や、過去や未来を考えず、ただただ手の感覚のみに身を任せている状態の一瞬一瞬を右脳が感覚していて、それを他人のように観察し、別の場所から考えるべきことだけをかいつまんで、論理や言語で思考し「意味」を「理解」するのが左脳であると言える。

このように、自分たちの頭の中は、まったく正反対のことを感じ・考える、ふたつの別人格がいっぺんに共存している状態と言えるらしい。

理解できることと理解できないこと。
意味のあるように思えること、思えないこと。
右か左か。

そういった状況に常に心は引き裂かれ、迷い続け、苦しみ続ける。
そのようにできているからこそ、人間は人間にしか出来ないことを成し遂げる。

宗教だとか、占いだとかは、科学の発達以前から人間の道具だった。
むしろ、非論理から論理が生まれ、論理に照らし合わせたからこそ、非論理という概念が生まれてしまったとすら言えるだろう。

両者はニワトリとタマゴの関係をとっていて、どちらがどうだと片方だけに固執するのは、偏ったものの考え方だと言わざるを得ない。

老人が仏壇に向かって手を合わせることを軽蔑する子供がいるが、論理一辺倒で育った感覚が、説明できない事態に立ち向かう勇気をもつことなどできるのだろうか。
それとも、説明できないことなどない、という教義をもつ宗教をつくるのだろうか。

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非論理の歴史では、金剛界と胎蔵界といって、有史以前から、
既に精神世界と物理世界を完全に別のものであると考えていたようだ。

精神(非実在)の問題は精神の問題。
肉体(実在)の問題は肉体の問題。

論理的な苦痛は非論理では解決できない。
非論理的な苦悩は論理では解決できない。

心の苦しみを救うのは非論理。
肉体の痛みを救うのは物理(論理)。

先人は、はるか昔、太古の昔から、それを知っていたという。

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右脳的な感覚、つまり「全部」を、ただ通り抜ける。
なにひとつにも囚われていない。100%の透明で、何も考えていない。
自分と世界の境界が存在しない状態。
世界という海の中へ、自分という輪郭でできた厚さ0ミリの枠を放り投げるだけの装置。
なにものにも触れず、なにものからも触れられない。ただ、通り抜けるだけ。
大気とか、頭上にある空、風のような状態。無。
これを「虚空」と表現することがあるようだ。

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2014年3月30日日曜日

人生

2014年 3月某日。

ある朝、加藤がなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一つの巨大な袋に変っているのを発見した。完全にアタマがブッ飛んでおり、過去・現在・未来を見通す、神か悪魔か妖怪変化かに変身でもしてしまったか?と、半ば本気で思った。

あるいは、ジル・ボルト・テイラーという脳科学者が、自ら罹患した脳卒中を内側から観察したときの所感のように、まさか物理的・生理的に脳が破損しているのではないだろうか?と、残りの半分の可能性で心配した。

2012年の暮れから続いていた鬱の、ひとつの結末だ。
あのとき、駅のホームで頭がおかしくなったのをはっきり実感した。
精神崩壊と言うのも大げさだし、ごくごく簡単に言えば、要は、もう無理!と思った。
完全に、意味不明になって、生きていても何にもならない。ファックだと思った。
要するに、頭が死ぬほどファックするまでシゴかれたのである。

あのときは二年半くらい夜勤を続けていて、職種はコールセンターのリーダーだった。
昼間は真っ暗な暗室で過ごし、夜中は職場でクレーム処理に追われる日々だった。
職場の人間関係もそこまで良好ではなく、自分が浮いていることも無視していた。
冷静に振り返れば、ぶっ壊れないほうが不自然な生活態度だった。

とにかくお給金がよく、その美味しさはとても手放せるものではなかったし、言語能力およびヒラメキと、地道なオペレーションの積み重ねとのバランスがよくて、正直、すごく好きな仕事だった。ここを抜けたら、もうあとが無いな〜!と、よく冗談を言っていた。

ジワジワ、ジワジワと、些細なことからうまくいかなくなってきていた。
モチベーションのようなものが枯渇していた。
グルグルグルグルしていて、まったく前進していなかったし、したくなかった。
向こうにあるものは断崖絶壁であると予感しながらも、行くことも戻ることもせず、ひたすら、お金をもらうためだけに、なにかを押し出していたのである。
そう、人生を。

そうしたところから、ビョーキという結果でリタイアを果たした。
それから1年弱、またもやドロドロした日々を送った。
ただ、それまでと違うのは、制作に打ち込む機会を得られたということだった。
この1年は、デザフェスだ!!ということで、鬱からの脱却をはかった。
モチベーションと???のみで脳を奮い立たせ、制作に関わった。
このあたりは、小冊子「制作なんとか ♯1」にくわしい。
(イヨマンテのトップからダウンロードページにジャンプできます)

そうした1年を経る中でも、やはり気を抜くとドスンと落ちてしまい、部屋から一歩も出られなくなってしまう日も多かった。目が覚めた瞬間からなにかに恐怖しており、焦燥感に駆られて、ソーシャルネットワーキングサイトに思いの丈を書きなぐっていた。

とにかく、ずっと悩んでいたことはというと、とにかく意味不明だということ。
自分は、この世というものについて、何ひとつ、チリひとつ理解できない。本気でそう感じていた。便宜的に、記号の交換をするだけで、自分が生きているのか死んでいるのかさえ不明で、無明で、末法だった。ゾンビだった。この世には誰もいない!!と泣き叫んで狂って死ねば、気が済むだろうか?ということばかり考えていた。

過去のトラウマと向き合うなんていう発想は、なかった。
文字通り、存在していなかったのである。ないものは、ない。
認識のすごさというか、石ころ帽子をかぶせたように、無価値な宝物を、そう扱ってしまっている、という事実だけを頼りに、無意識の領域にしまいこんでいた。

で、事件が起こる。

あれは一種の契機だったのだろう。
一気にすべてが崩壊し、それまでの価値観を根底から破壊するような、ほとんど生きたまま自殺するような精神的変貌を経て、坊さんになってしまった。
坊さんになった、というより、パーフェクトに遁世し切った。

そして、10日間かそこらのあいだに、10や20ではきかない奇跡を連続で引き当て、人生がある転機を迎えたことを理解した。そのハチャメチャな転生の記録はまた書くとして、とりあえず区切りがきた。

これを「躁転」と表現することが正確かどうかはわからないが、個人的には、まったく違うと信じてやまない。

確かなことは、以前にもまして、可笑しい奴だ!と笑われていることである。
今はそれを幸福に感じる。

これでいいのだ。




2014年3月7日金曜日

わかったよ

いろんな宇宙があるらしい。
なんとなくそう思った。

2014年2月12日水曜日

2014年になり

気がつくと年が明けていた!
海岸から初日の出を見ました。天気がよくてすばらしかった。

三鷹のシェアハウスから抜けて、愛知の実家に帰ることにした。
かわりに新しい人が入居することになっていて、今使っているこの部屋を使う予定。
ハウス自体は更新(定期借家なので再契約)することになっている。
一身上の都合ではあるけれども、実家は部屋がたくさん余っているので制作に励みつつ、身も心も健康になっていければいいなと思う。

実家なら暗室に水道を引けるし、大掛かりな電動工具が揃ってきた今、工作するには手狭になってきた感があったしタイミング的には今だろうというところ。

また、あたらしい活動の場が得られそうな予感がある。
自由が丘のレンタルスペースから声がかかっていて、先日話を聞きにいった。
具体的な段階にはなっていないものの、みんな乗り気だしデザフェスとはまた違う成果が得られるようになるだろう。ひょっとすると今までより関東組とのつながりが活性化するかもしれない。何にせよ意気が高揚する見通しを持っておくことが大切だ。

あと、あたらしい興味が見つかった。
別に占いをするわけではないし好きでもないのだが、タロットカードについて勉強をしたい。
人間と魔術(つまりのちの科学の礎)の関わりにはかきたてられるものがある。

・写真術
・石膏
・タロット

を10年ずつくらいである程度身につけられたらいいなと思う。