Translate

2013年9月26日木曜日

回すくん1号の制作

大伸ばしに取りかかっているが、ものすごく楽しい。

ものすごく大きくなったプリントというのは、ものすごく大きくなったネガにほぼ等しくて、今までにもう知っていると思っていたそのネガの、もっと違う表情が見えてくる。
撮ったら終わってしまうのではなくて、何度も何度も時間をかけて、今とそのシャッターによって切断されたその時を行き来する面白さを改めて実感している。

水張りによるパネル加工の利点によるところも大きい。
水張り技法は、紙を水に浸けてふやかし「膨張しきった状態」のまま木製のパネルに張りつけて、辺を釘や針で留めてしまい、そのまま乾燥させるというもの。紙が太鼓の膜のようにピンピンに張りつめて、枠木に水張りした紙を叩くと、まるで太鼓のようなボーンという音がする。水張り技法は水にふやける紙でしかできないので、写真紙でいうとバライタ紙でしかできない。さらにいえば、水に深い関わりのある暗室技術ならではの「水によって仕上がる写真」と言えるかもしれない。

水張りはバライタ紙のデメリットをほぼ消すことができる。バライタ紙はレジンコート紙と違って、薬品処理をした後にさらにいくつかの処理行程が必要な「面倒な紙」だが、その行程を省略できる。そういった面倒を水張り以外の方法で解消した、当時の「次世代ペーパー」がRC紙であったので、それよりも昔はこの七面倒な紙しかなかったらしい。もちろん、利便性のために犠牲になった部分というのもあって、面倒な行程を経るだけの良さを実感する人もたくさんいるようだ。(バライタ紙とRC紙の違いについては省く)

-------------------------

さて、大伸ばしは楽しいが、いくつか問題が出てきた。

大全紙から仕上げたF10号パネル

まず、角がうまく仕上がらない。四隅ともうまく仕上がる場合もある。おそらく膨張しきった状態から、よかれと思ってグイグイ引っ張りながら打ち付をすることが原因だ。
これは解消方法を思いついたので、何度もやってみるしかない。

角がひしゃげる…

そして悩ましいのが現像ムラだ。これはおそらく現像タンクに薬品を投入するとき、投入「し始め」から投入「し終わってタンクを倒して転がして全体に薬品が行き渡る」瞬間までにタイムラグが生じているために、急激に反応する現像液がそのタイムラグを如実に表してしまっているのだと思われる。

線状に浮き上がったムラ
(薬液投入時に真っ先に垂直にかかって液が垂れた部分と思われる)

これを解消するには、現像液を極端に薄くして処理時間を極端に伸ばすか、それとも皿現像をするときドボンといっぺんに沈めるときと同じように「均一に」タイムラグが起こらないほどに速やかにいっぺんに薬液反応をさせる必要があると思われる。大全紙の皿現像は現実的に無理だと思っているので、他の方法でなんとかするしかない。

-------------------------

そこで、薬液を投入するときの投入方法について見直すことにした。「全体に、いっぺんに、すみやかに、均一に」薬液と印画紙との最初の接触が起これば良いわけだから、そのようになる装置を作ってみた。

年季の入った扇風機を壊して、モーターだけを取り出した

モーター軸に半球状の木材を背中合わせに取り付けた

タンクを横倒しにした状態でキャスターに接地させる台

「回すくん1号」の完成

2リットルの薬液がちょうど中の紙を浸しきる程度の勾配に傾けて、回転しているタンクに薬液をスーッとすみやかに流し込めば、かなり滑らかに全体に行き渡るはずだ。試してみないとわからないが、きっとうまくいくような気がする。

2013年9月22日日曜日

大伸ばし成功

大全紙の引き伸ばしは特に問題なく成功した。

大全紙スケールでテストをしたのだが、大きくて興奮した。

とにかく大きい。小さい方が六切でこしらえたSMサイズのパネル。

粒子が見える(てしまう)ほど大きい…

SMサイズの小振りなパネルも並ぶといい感じに見える。

-----------------------------

ひとまず最初に、引き伸ばし台盤上でSMパネル用に出したレシピのヘッドの高さのままで、そのままヘッドをぐるんと後ろに回し、押し入れの下の段に大全紙用のイーゼルをちょうどいいサイズになる位置に配置。そしてそれぞれのイーゼル上において、素ヌケのネガで最大黒に到達するまでの時間を計測してみた。すると同じ絞りの場合できれいに4.0倍という結果になって妙にスッキリした。六切のレシピをそのまま単純に4倍してテストしたところ、問題なかった。ヘッドの高さが変わったときにどうなるかは他のネガで試していかないとわからない。

大全紙の現像は先日の記事に書いたミュータンジェン1号を使用した。

ミュータンジェン1号と名付けた

オリエンタルのイーグル大全紙に、中外薬品のマイデベロッパー(1:14)現像液を2リットルぶちこんで床に倒してゴロゴロ往復。1回目のプリントは激しく転がしすぎたようで、紙が薬液を吸って膨らんでいく中で紙にダメージが出てしまった。大全紙が吸い込む薬液の量はちょうど100ccということもわかった。

2回目はやさし〜く転がしてみたところ、奇麗にできた。激しく転がしてもやさしく転がしても、像に差は見られなかった。大きくなったがゆえに更にこだわるべき細部が見えるようになったり、改良すべきという点も見あたったのだが、大全紙は気軽にまるごとテストに使えるような紙では今のところない(値が張るし作業が大変)ので、ぼちぼちといったところだ。それにしてもおおきい。すごい。鼻血がでそうだ。

パネルへの水張りもまったく問題なくできた。
SMパネルをやっているときに、角の部分の仕上がりに少し不満が出るようなこともあったが、角が奇麗になるコツがわかった。ガンタッカーで打ち付けているのだけど、フレームの四辺のそれぞれの両端、紙を折り畳むところのギリギリのところにしっかり打ち込んでおくと奇麗になる。水張りについてはいずれまた別に記事を書きたい。

それにしても、大きいことはいいことだけど、大きくするに耐える質のネガを作るという根本的な課題の方がもっと大きく感じられた、そんな初体験だった。

-----------------------------

デザフェスのレイアウトも考え中だ。

2013年9月20日金曜日

大きな写真をつくる

これまで暗室でのプリント作業は、六切というサイズを仕上げることに集中して作業をしていた。六切はだいたいiPadくらいの大きさで、大きな写真とは言いがたい。難しさの意味合いにもよるが、おおむね大きなサイズになるほどプリントの難易度は上がると言える。かといってハガキくらいの大きさに仕上げようとしても、情報量が少なくなりすぎて練習の成果も小さくなるという面もある。コストの兼ね合いも重要な問題だけど、練習としても仕上がりとしても、ちょうどバランスの取れるサイズが六切なのかなという感はある。ぼちぼち感覚もできてきたところで、11月には秋のデザインフェスタがあるため、展示の機会に合わせて、そろそろ大きな写真を作りたいという願望が膨らんできた。

---------------

プリント作業は「引き伸ばし機」という、電球が内蔵された機械にネガをセットし、そのネガを通過した電球の光を、引き伸ばし機のレンズの下に置いた印画紙に与えるという露光作業が行われる。

引き伸ばし機はこんな感じの機械



この引き伸ばし機の台の上に印画紙を置くのだが、そのまま置いてはズレてしまうので、通常はイーゼルという器具に印画紙を固定する。印画紙の種類によっては紙が反り上がっていたりするので、押さえつけて平面にするという役割もある。昔から写真には白い枠がついているが、この枠のもともとの正体とは、イーゼルが印画紙の周囲を押さえつけた結果、光が当たらずに白く残ったもの。このブログツールにおいても、画像を掲載すると画像の外側に白い枠が自動で追加されるようだ。こんなところにも「写真」は残っている。

イーゼルはこんな感じの器具

上から見るとこんな感じ

このように、イーゼルの大きさによって、押さえつけることのできる印画紙のサイズの上限が決まってしまうため、大きなプリントをつくるためには、大きなイーゼルが必要になる。しかし、大きなイーゼルは非常に高価で、とても手が出ない!

---------------

そこで「大全紙」専用のイーゼルを自作することにした。
寸法を色々考えて、ホームセンターでMDF材を買ってカットしてもらった。
600*910mmのMDF板からの切り出しですべて間に合ったが、1000円くらいだった。
金具とかネジとかを合わせても2000円かからなかったと思う。
MDF材は木質繊維を接着剤と混ぜて固めたもので、これを選んだのは、自然な材料だと反ったり膨らんだりして平面性に影響があるかもしれないと思ったため。MDFは平滑で均一な材料ではあるが、とても水濡れに弱くビスや釘の食いつきも悪いといったデメリットもある。

用意した材料を組んでみる

 下のボードに印画紙を置いて、上の枠で印画紙の辺を押さえつける構造

枠の四隅のL字金具は下にハミ出させて、置くと定位置におさまるようにした 

開口部の寸法はF10号のパネルより少し大きくなるように合わせた。

たいへんな大きさにショック!!(全然見えないけど)

---------------

さて、露光ができたとしても、薬品処理の段でも器具の巨大化が必要になる。
四角いバットに薬液をプールして印画紙を沈めるような「皿現像」をしようとすると、巨大なバットを何枚も並べるような場所も無いし、なにより器具がべらぼうに高価なので、なんとか安く現像できるよう、種類の違う器具を自作する。

内径150mmの塩ビ管・キャップ・継ぎ手・掃除口 

大全紙の長辺に合わせたサイズに切断

ズゴゴゴゴゴゴゴゴ

ミュータンジェンの誕生

この筒の中に露光した印画紙を丸めて収納し、薬液を順番に入れてゴロゴロ転がせば処理ができるという寸法だ。フィルムの現像はこうした缶のような器具で現像するので、印画紙でもできるはずだ。場所もとらないし、なにより安い。

大全紙の短辺が重ならないように収めるなら、内径はおよそ162mm必要なのだが、1メートルに切り出された状態で購入できる塩ビ管では150mmが最大だった。ほんの少し重なってしまうが、最終的にはそれより一回り小さなF10号のパネルに仕上げるので問題ないと判断した。

---------------

大きなプリントができるようになったら、この巨大な写真をさらに何枚も並べて、やっと全体像が見えるというような超巨大プリントに取り組みたい。
巨大なプリントには巨大な情報量が必要になるだろうから、今後あたらしく撮影していく作品については、そうした巨大な内容を宿らせていきたいと考えている。

2013年9月12日木曜日

写真の意味

どうして自分は写真をやるのだろうと考えることがある。
自分がやっていることって何なのだろうか?とか、そもそも実際に自分に「やれている」のかどうか?という疑念に駆られることも多い。具体的に手を動かすこともせずにぐちゃぐちゃ考えてばかりで何もできていないこともあれば、心を無にしてひたすら手の動きを他人のように見つめているようなときもある。

自分はカメラマンではないと思う。
というのも、頻度としてカメラを全然使わないからだ。申し訳程度にコンパクトカメラは持っているけど、外に出て何か感じたときに一瞬でそれと切り結ぶような、運命を引き寄せるような魔力を持ったものすごいカメラマンたちとは根本的に違うと感じる。最新の技術や知識をどんどん吸収して理解し、社会の中で必要とされる意味のある写真をキッチリ撮る。それはものすごいことで、まさにプロとしか言い様がない。

以前、テレビ局で働いていたころは、日本中を回ってロケをしていた。デジタルビデオカメラを一人で担いで街ゆく人々にインタビューをしたり、その一瞬に起こっている現象を見逃さず、しかも正確に、商品として「使える」ような「意味」のある映像を素材として収録し、それをつなぎ合わせてVTRを制作していた。もちろんチームでやっていることだから、その一端をできる範囲でやらせてもらっていたという程度だけど、求め「られる」ものとは何か?というのを、何となく体感していたようには思う。

しだいに「自分一人でやりたい」という思いが募っていき、誰にも関係ないところに閉じこもって、100パーセント自分の思い通りになったものを見たいと強烈に感じるようになった。仕事は仕事で本当に楽しかった。実入りはカスみたいなものだったけど、どんなものを作るべきなのかという明確な目標があって、合理的に誰もが納得する評価基準があった。ワクを拡大して言うなら、それは数字のことだ。数字のことはいいとして、モノ作りの業界を抜けてしまってからも、趣味としての写真は今も続けている。

はっきり言って自分が作っている写真が数字になることはないだろう。
誰も求めていないものだし、意味が無いものだからだ。でも決してそれはネガティブな現象ではなくて、個人的な、本当に私的であることに傾倒してきた結果だと思っている。私的であることが個人の幸福を普遍的にすると信じているけど、その辺は省略する。

-----------------

現実と対峙するためには数字を作らなくてはいけない。
自然ななりゆきといえばそうなのだけど、今の目標は「巨大な写真をつくる」ことだ。
大きさという説得力はすさまじくて、もちろん「なぜ大きくなくてはならないのか」という点での格闘は避けられないんだけど、観点をずらせば「なぜ小さくなくてはならないのか」との格闘でもあると言える。端的に言えば、大きなモノは大きな数字に等しい。

現状、暗室に精通している立場の方から言わせると「練習するにしても最低このくらいの大きさでないと練習にならない」程度のサイズである六切に専念している。なぜならそれが今の自分の限界で、それ以上大きいものは、作ろうと思っても、経験も知識も技術もまったく足りていない。言い換えれば、現時点では消去法的に小さくなっているに過ぎない。

「大きなものも小さなものも作れるのに、敢えて小さくつくる」というところまで最低でも到達できなければ、小ささは無意味な小ささに過ぎないままだ。大きな写真を作るために必要なことを少しずつでも揃える。

------------------

書こうとしていたことがひとつも書けていないんだけど、とてつもなく長くなるので何度かにわけて書きたい。

2013年9月11日水曜日

イヨマンテ完成

すこし前までは自分の作品を発表する場としてリカヒノロクフというサイトを用意していたのだけど、サイトを置いていたサーバからメールがあり、事業を畳むことになったので預かっている情報はすべて消滅しますという内容だったので実際ショックを受けた。(すでに消滅済み)

写真を撮り始めた最初期には、もっぱらmixiのアルバム機能を使って内輪に向けて発表していたのだけど、ツイッターにのめり込むようになってからは、自分のサイトがほしいナ〜と思うようになった。ホームページを作るぞ!と思っても、既存のwebサービスはどうしても好きなようにならないし、何よりも勝手に仕様が変わっていくことが嫌だった。


ネットワークに関連するコンピュータに関して言えばすべてがそうなんだけど、アップデートだとかバージョンアップなどの「改良」によって、昨日までそこにあったボタンが無くなっているだとか、せっかく指が覚えた動作が違う意味にすり替わってしまったり、同じことをしているはずなのに何故か結果が変わってしまう…といった支配されている雰囲気がすごく嫌で、純粋機械としての「メカ」である道具でないとあまり心を許せない。


とはいえホームページは情報ツールなので、パソコンが得意でなくてもまあまあ体裁のつくものが作れるソフトはないものかと調べて、Freewayというmacでも使えるホームページビルダーを買って最初のリカヒノロクフを作った。


先日消え去ったリカヒノロクフは2代目で、2代目は当時一緒に共同生活をしていたダメレオンさんに無理を言って、すごい技術でハイパーテクノロジーとしか言いようが無いものをゼロからコーディングしてもらったものだった。すごく気に入っていたのでデータを移転して…ということも考えたが、自分の手に余るもののアフターケアをずっとお願いし続けるのもいけないし、また自分で作ろうということでシコシコやったのがイヨマンテだ。


自分のハンドルネームやサイトの名前を決めるのはすごく感慨深いというか、命に関わることをしている感じがして霊的な気分になる。加藤袋という名前についてもいろいろあるけどそれは省くとして、どういった顛末でイヨマンテになったのかを書きたい。


まず前身サイトのリカヒノロクフについては、自分の袋という名前から派生した名称にしようという考えがあって、最初にパッと浮かんだのが「光」だった。(袋の光…)というところから、とりあえずカタカナにしよう!というのは決まっていて、光を意味する外国語や学術用語を調べたりしたが、結局「フクロノヒカリ」に戻って、古くさいことしてるし、右から書いてやれということでリカヒノロクフに決着した。今度も同じ名前にしようかと思いはしたけれど、当時とは決定的に違うこととして、プリンターとしての自分という重要な側面が追加されたこともあり、改名することにした。


イヨマンテという言葉に最初に出会ったのは、真女神転生3というゲームの中に出てくるマガタマという道具の名前のひとつだった。(イヨマンテ…!)という響きがけっこう強烈に記憶されていて、今回「カタカナでひとかたまりの素敵な文字列」と考えたとき、まず最初に(イヨマンテみたいなの)と考えだした。


イヨマンテというのはアイヌ語で、直接の関係はないけど、ずいぶん前に初めて中野ブロードウェイに訪れたときにアイヌ語辞典が販売されているのを見て、思わず買ってしまった。今でもうちにある。カタカナの不思議な文字列の響きには感じるものがある。今回もいろいろ考えたけど、結局最初に浮かんだものでいこうということになった。よくよくイヨマンテとはなんぞや?とwikipediaを見たところ、これがまたものすごく神秘的な言葉で、こりゃもうこれしかないわと観念した。


”イオマンテ (iomante) とはアイヌの儀礼のひとつで、ヒグマなどの動物を殺してその魂であるカムイを神々の世界 (kamuy mosir) に送り帰す祭りのことである。[1]言葉としてはi「それを」+oman「行く」+te「何々させる(使役動詞語尾)」という意味。「それ」とは恐れ多いカムイの名を直接呼ぶ事を避けた婉曲表現であり、従ってイオマンテとは「カムイを行かせる」儀式の意である。また、語頭のiとoの間に渡り音のyが挿入されてiyomante=イヨマンテという発音になることも多い。
単にイオマンテという場合、ヒグマのイオマンテを指すことが多い。本来はカムイであればどんなカムイでも構わず、一部の地域ではシマフクロウのイオマンテを重視する。またシャチを対象とするイオマンテもある。”


はてなキーワードからの引用としては
アイヌの「熊の霊送り」の祭り。
成獣を仕留めた際に、残された子熊を里へ連れ帰り、1~2年飼育した後、盛大な儀式を執り行い親元である神の国に「送る(殺害して、死体をデイスプレイして飾る)」儀式。
1977年姫田忠義により映像化されている。”


とのことだ。

「殺害してディスプレイして飾り」「その魂を帰す儀式」って、完璧なマッチングじゃないかと思う。ほとんど自分の制作行為はイヨマンテに近いのではないかとさえ思った。

2013年9月8日日曜日

感動すべきもの

「いいもの」という概念がある。

優れたものは劣ったものより優れ、劣ったものは優れたものより劣る。個々の自由な価値観によってそれぞれは裁かれて、もはや善悪の領域にまで食い込む。それぞれの法律によって自分自身をも含むこの世のすべては優劣を強いられ、優れたものは愛され、劣るものは虐げられる。

優れたものとはなにか?劣るものとはなにか?というのは個人が自由に設定できるものではあるが、多くの人が感じる価値観に結果的に一致することもあれば、逆にそれらに対して合意し返すこともできる。そうした果てしない優劣の決めつけ合いの繰り返しの中で、自然に「証明せよ」という闘争本能や生存本能の表れに苛まれ、勝ったものは正しいとされるし、負けたものは誤りとされる。しだいに人々は合理的に美しくなり、論理的に殺す。そして感動「すべきもの」に永遠に心を奪われ続けていく。

確認するまでもなく自分たちは人間だけど、実のところ、ほとんど人間に「してもらっている」またはそう認め合っていると表現する方が正確なのではないかという感覚にしばしば陥る。生きている限り、自分自身の意識や肉体という個が「人間」なのか「私」なのかという問題に常に悩む。どちらでもあると考えることはどちらでもないと考えることと同じくらい易しい。

この世には存在を感知できないほどにたくさんの人間が確かにいるようで、言葉も通じなければ一生個人と認識しない人がほぼすべてを占める。「私」が「私」であるのと同じように、または同じ程度に「あなた」を「あなた自身」であると感じることが出来る機会は人間全体からすると砂漠の砂のひと掬いにも満たないことだろう。

この世にあふれている「感覚」は私という一単位の体感の70億倍あることは間違いないのだが、70億通りの感覚を別個に認めることは、私とあなたは違う生き物であり、私「たち」は人間ではないと考えることに等しい。より死なないように、より恐怖しないように本能が働くのなら、独りで生きていくことができないとすれば、個人が違う生き物であると認める訳にはいかなくなる。まるでひとつの生き物を構成する細胞のように、矛盾する思考をひとつの頭脳に詰め込んだ悩ましい人間そのものになりきらなくてはならない。息を吸って吐くように、自然な代謝として細胞同士は「ある方向」へ行かざるを得なくなる。右手は右へ行き、左手は左へ行くというわけにはいかなくなってしまう。

----------

人間が営む表現活動、根本的には感情、末端的には言語、身体の外に出た部分では例えば美術や経済活動のすべては「人間であることを表現する」ことと「私であることを表現する」ことに大別できるのではないかと考える。もちろんこれらは自分自身が人間であり私であることに立脚されて混じり合ったうえで吐き出されるものだから、白黒つけることは不可能なのだけど、方向性を帯びることはあると思う。その方向性の是非について感ずるところがあって、それは人が何に感動すべきなのかということについてだ。

人は、それぞれが「私」であることに感動するべきだと思う。そして、私以外にも私がいる。それどころか、私以外のすべてが、それぞれのそれぞれ自身であると完全に理解することに感動すべきだと思う。結果、私は人間になる。人間に私がなることと正反対の認識ではないかと思えなくもないが、これは右回りに書いた○と左回りに書いた○が、書いてみれば結局同じ○になるように、同じことを言っているに過ぎないのだけど、その○が書かれることは、永遠にない。永久に書かれようとし続ける。

ただ、それが○になる場所がこの世にたったひとつだけあって、それが「私」だ。
と、「私」は思う。不思議に人間として。

そうして人間をやめようとすると、果たして人間になったときと同じ形に行き着く。
同じように人間になろうとすると、果たして私になったときと同じ形に行き着く。
というような仕組みになっているのではないかと思う。

---------

めちゃくちゃに観念的で非論理的なことを書き連ねてしまったのだが、言おうとすると言えなくなるような点があって、それは夢のように書こうとした瞬間に書けなくなってしまう。

いつかそれを表すだろう。

2013年9月3日火曜日

なぜ「こだわり」は起こるのか

ノートリミング至上主義(記録した全データとしての形状を変化させないこと)というような意味で呼ばれる、画像加工を女々しいことであると考える宗派のひとつがある。
シャッターを押したことによって決定された画像の全容のうち、その枠の中から敢えてもっと良く見えるような範囲を切り抜いてしまうことは、シャッターを押す前の段階で、またはカメラを選択する段階でできていなくてはならないのであり、結果として自分の感性について責任をもたない甘えた姿勢であるという教義をつらぬいている。

たとえば正方形の画像として記録される中判フィルムの場合は、正方形のそのままの画像として出力することが正しいことになるため、通常長方形をしている印画紙にそれを現像する場合、短辺方向に正方形を合わせる訳だから、長辺方向の上下に余白を残すことになる。(正方形のマットを使用した正方形の額に額装すれば自然になるが)

ネガをセットするネガキャリアは、ネガキャリアを透過する引き伸ばし機からの光の枠の形を決めるための穴が空いていて、その穴の上にネガを載せるわけだけれど、上記のような感性を証明するために、ネガキャリアの穴をヤスリで削って広げて、この枠の外にはなにも写っていない、トリミングなどしていないということを印画紙上に示すようなことも行われる。透明なガラスのキャリアを使って、フィルムのパーフォレーション(フィルム本体の上下に連続して空いている穴)まで印画する主義の人もいる。

個人的にはトリミングはまったく許容できる範囲だと思っている。
そもそも正方形のネガができあがる中判フォーマットというのは、35mmフィルムのカメラに比べてカメラ本体が巨大で重たいし、二眼レフカメラのように、カメラを横倒しにして構えることができないわけではないが困難であるハード的な事情からして、そもそもの根源が「あとからトリミングすればいいように、フォーマットを正方形にしてしまえ」という発想で正方形になったという話を聞いたことがある。(本当のことかは不明)

しかしながら、上記のようなノートリ至上主義以外にも、そういう従うべきルールというか、破ってはいけない信条というか、そういうものに縛られたり守られたりすることに、ある種の美しさとか潔さを感じるという気概には強い共感を禁じえない。情報社会化とか技術の革新などによって、そういう気概が失われていっているという嘆きに近い感情についてもまったく想像に難くない。(本当に嘆かれるべきことかどうかは別問題として)

個人的にも、写真に関わるようになったごく初期、生まれて初めて自分のカメラとして所有したおもちゃのようなホルガを使いながら「一眼レフを使うなんてとんでもない!」と思っていた。なぜなら、カメラの前にあるものに対してカメラを構え、シャッターを押すという行為について内省するとき、一眼レフカメラというのはファインダーから見ているその像そのものが正確に反映されるために、逆に言えば「失敗するべきだったときにそれを事前に察知して回避することができてしまう甘え」だとか「妊婦の腹の中を確認して、気に入らなければそもそも無かったことにし、望ましい子供だけを選んで生ませる」というような非神聖的・非人道的な領域にあるものだという感想を拭えなかったからだ。

ホルガの破損だとか、それまでに感じ得たもろもろの考えの広がりから一眼レフを使うようになってからも、こういう自縄自縛は続いた。「なぜシャッターを何度も押すのか。本当に心が決まっているのなら、たった一度でいいはずだ」という気持ちはものすごく強く、それはフィルムという有限のメディアを使っていることに対してのプライドというか、ビデオカメラの録画を後から一時停止するかのようにいくらでも無節操に連写できるデジタルカメラに対する侮蔑の念が意識にこびりついていて、それが奇妙な「こだわり」として表面化していた。今ではきちんと多段露光する。

結果として、そうした珍奇と思えるようなこだわりも、今では大切な思い出として制作に対する意識の血肉になっている。骨と言ってもいいかもしれない。昔のネガ帳を見ていると、1コマ1コマが張りつめて、息の詰まるような不自由が濃密に思い出される。せめて前後にもう1段ずつ露出を広げたものを計3コマ撮っておけばよかったのに…と思わないでもない。実際にそうしておけばきちんと像になっていたものもたくさんあった。でもそれでいいのであるとしみじみ思う。義務やクオリティが要求される業務とは違って、結果として失敗したことを許される個人的な行為であるからこそ、そう思うことを許されるにすぎないのだけど、社会や概念がどんどん進んでいく中で、こういう非効率的で、ばかみたいな「こだわり」に、とても合理的とは言いがたいけれど、奇妙な慈しみのようなものを感じてしまう。そしてそれらが、一般常識として殺されていくように思えてならないような不安も。

実際、自分もどんどん変化していくことだろうと思う。
カラー写真をやるようになるかもしれない。デジカメだって使うようになるかもしれない。写真なんてやめてしまうかもしれない。でも、今こうしてしがみついている「いつか死ぬであろうもの」を、たった今こだわっていることに、少し生きること自体を重ねてしまう自分がいるのである。