”ネガは楽譜、プリントはそれを演奏するようなもの”
という、暗室の世界で非常に有名な一節があるが、個人的には、撮影(ネガ作り)は記憶することで、プリントは思い出すようなものだと感じる。
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撮影(ネガ作り)は、たった一度しか訪れない時間とたった一度だけ切り結ぶようなものだから、常に緊張感があって、気分が高揚する。今のは完全にキマッた!!というシャッターが切れると、スカッと突き抜ける快感がある。撮り切った!という瞬発的なキリのつき方が速い。
一方、暗室作業は、繰り返し繰り返し同じことをやり続ける性質が強い。気持ちが落ち着いていないと、自分が求めているものと実際に出来上がったプリントの違いに対して冷静に判断を下すことができない。黒ともっと濃い黒の、白ともっと明るい白の、さっきと今の、今とこの次の、その差を見極める眼の力の勝負で、ここで終わりというキリが存在しない。
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完全に同一の「演奏」が出来ないように、厳密に見れば二度と同じプリントはできない。
現に、過去につくったレシピを再現しようとしても、なぜか微妙に結果が変わる。
それは季節による気温や気圧の差、薬品の原液のボトルを開封してからどれだけ時間が経っているか、それを希釈してからどのくらいの時間が経っているか、希釈液の温度、バットを揺らす強さ、引き伸ばし機が接続されている電源の電圧の揺らぎ、などなど、挙げられる理由を数えればキリがない。
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暗室技術を身につけるのは相当に面倒だ。
これは自分の無精な性格によるものなんだけど、実際にプリントができる道具を一揃い用意してから、コンスタントに「やる気」が出るまでには相当な時間がかかった。一年以上かかったと思う。
生涯初のプリントを手取り足取りで教えてもらったときには「スッゲー!!」という興奮があって、いざ自分のネガで「修練」の時期に入ると、たちまちプスプスと煙が出てきて、完全に意気消沈し、こんなのできるわけないという暗黒期に突入した。
時は過ぎ、春のデザインフェスタへの出場が決まって、あと100日のあいだにブツを用意しないと話にならない!という段階になって初めて、地味なうえに練達が進みにくいプリント作業に対して肚をくくることができた。
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その100日のあいだに暗室と暗室に対してネガティブだった自分の心と向き合ってみて、最初に発見したことは、気持ちが揺れているとプリントも揺れるということ。
仕上がりが揺れるというのは、プリントに対して、それがどういうプリントなのか、自分で分からなくなるような状態だ。
良いのか?悪いのか?さっきより良いか?さっきより悪いか?
そもそもどこへ、どんな仕上がりのイメージに向かって、なにを改良しているのか?
その改良の仕方は、ほんとうに改良なのか?改悪なのか?
白いのか黒いのか?
ネガはひとつなのに、それをどんなプリントにするかには、ほとんど無限の選択肢がある。
(ネガ作りもそうだけど、ネガ現像はたった一度しかできない。)
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春のデザインフェスタを終えて、それなりにプリントができるようになってくると、次は秋のデザインフェスタにも出られることになり、大全紙のプリントにも挑戦するようになった。
暗室との格闘も二期目になってくると、撮影(ネガ作り)とプリントは実は似ているのではないか?と思えるようになってきた。
暗室は、大きな大きなカメラのようなもので、その中に自分が入っていて、ネガという現実を何度も印画紙を使って「撮影」しているのではないか?という感じがしてきた。
もしも時間を巻き戻すことができるなら、たった一度しかできないはずのネガの現像を何度もやり直すことができるなら、おそらくプリント作業と同じような「キリのなさ」に呆然とするに違いない。
それは逆の感じ方というか、一段遡った捉え方というか、ネガという一点からプリントが無限に枝分かれしていくという捉え方から、そもそもネガ自体が無限の可能性から選ばれている一点であって、強制的に一回で決まってしまうか、どこへ決めるのか今から吟味するかの違いでしかないということに気がついた。
これはつまりデジカメでいうとRAWデータを何度も現像することなんだけど、デジタル一眼についてまったく知らない状態でクラシックカメラに突入したものだから、その時までは想像もつかなかった。
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またまた時は過ぎ、東京での暮らしをリタイアして田舎の実家に生活拠点をうつし、暗室のパワーアップに着手し、今は暗室との格闘が第三期となった。
春のデザインフェスタは残念ながら抽選にもれてしまったので、今期は「せかオム」の一員としての名義では活動がない。
まったく情けないことに諸々の個人的なダメさから果たすことができていなかった写真やプリントがらみの約束を、ひとつずつ追いかけている。
ちかごろは、心が揺れているとプリントも揺れるのは、プリントが心の状態についてこれていない状態だったから、そうなっていたのかもしれない、と思えてきた。
プリントが安定してくると、気持ちも安定する。
これまでに蓄積したデータと数字、プリントの良し悪しについて自分なりに考えてきた根拠のようなものが、半自動的に、定めるべき一点をおぼろげに指し示してくれて、たとえ気持ちがザワザワしていても、そこに向かって仕上がりが集中するようになってきた。
もちろん、その「点」が、まったくおかしな座標を向いていないとも限らないのだけど、なにせこれから仕上げるものの可能性は無限にあるわけだから、なにかに頼らないとどこへも行けない。
なんだかんだで、暗室との、暗室技術に対する自分自身との戦い方が、多少は固まってきているのかなぁということを思っている。
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