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2014年6月6日金曜日

中間点

きょうプリントしていたネガは、割と手こずった。

プリントしながら、自分の中で、今までにすんなりとうまくいったプリントと、中々うまくいかなかったプリントは、何が違うのか考えていた。

手こずるとき大きく3つ状態があるように思う

1)テストはさっくり進むが、なぜか本番になっていきなりズレる。
2)テストそのものが難航する。その代わりテスト通りに本番もすんなり焼ける。
3)テストでも狙いが絞れず難航し、本番においてもガクッと変化する。

テストが役に立たなくなる場合の大きな原因は、テスト用と本番用とで紙の種類が違うということがまず思い浮かぶ。わざわざ違う種類の紙を使うのはテストにならないとも言えるのだけど、本番用の紙はテスト用に比べて倍近く高価で、しかも処理が大変だ。紙のスペックというか、紙の表面に塗布されている感光剤の種類だとかその感度や幅は両方とも一応同じことになっているので、それに甘んじていることが問題といえば問題なのだが・・・

1)の場合、テストのやり方自体が悪い。
2)の場合は単純に目が悪い。
3)は全部悪い。

【結論】知識と経験と技術と勘が足りない。
【対策】気合をいれて根性を叩き直すか、高いところから飛び降りる

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ふと、考え方を変えるというか、認識を少しズラしてみることにした。

まず、今の自分の頭には「思い描く理想の通りに現実が追いついてきてやっと合格」という思いがあるが、これはけっこう自分自身を強迫するものがある。よろこびが足りなくなる。今までもこういう性質のせいで、随分と悪い方へ悪い方へとハマり込んでいったものだ

もとより決して簡単すぎはしないことをやっているのだし、そういう乗り物に乗っかってしまった以上、それが自分の思い通りのラインを描いて、最速のタイムを叩き出せて、実現できて当然と思うのは間違いだ。間違っているのは運転手の方なのだ。

非実在的な「あそこ」まで到達しなくてはならないという思いに駆られるばかりだと、なにが悪いのか?という減点ばかりしてちっとも楽しくない。そういうのは必要な分だけにしておいて、基本的には、今できるのはここまでで、ここまでは実在させられるので、この既に過去になった現実の現在から、どうしたら良くなるか?という方が、よろこびを得られる気がする

自分自身を高く評価してしまう驕りや傲慢が過ぎると、作品や制作行為そのものを責めていることに気づくタイミングが遅れる

誰も何も、俺に命令しないのだから、どこへも行かなくていいような気がする。

もちろん、どこかへ行かなくてはならないんだけど、それは必要に駆られているに過ぎなくて、たった一人きりの自分の世界の中でだけは、本当に自由になれるようになりたい。

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もし本当に一人きりになれたなら、世界に一つだけの心になれたとしたら。
あらゆる「実在」から解放された、もしそんな場所や境地があるとしたら。
たぶんそこでは、神か仏か悪魔か、そういう「無いもの」とすれ違うような気がしてならない。

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