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2014年8月5日火曜日

カメラがぶっ壊れた話、など

カメラが壊れた。シャッターおりない。
カメラがいつ壊れたのかは見当がついているのだが、ちょっと不思議なことがあった。

愛知の実家に戻ってから、名古屋でもモデルさんが見つかった。わざわざ実家に来てもらったのだが、いろいろ準備をしている合間に、使っているカメラがどういう動きをするのかとか雑談がてら説明していたときには、ガシャコンガシャコン動いていたので、カメラは正常だった。それから暗幕も照明もカメラもセットして、あとはレリーズを押し込むだけで写るという段階まで持ってきて、そこでダメになってしまった。ダメになってしまったのはカメラの方ではなく、自分の方だったのだが。

どうしても最初のシャッターが切れなくて、ポーズも良く見えないし、光も良く見えないし、何より「ここで切っても気持ちよくない気がする」という雰囲気が加速度的に重たくなってきて、結局はただの一度も指を押し込むことなく、撮影自体をあきらめてしまった。

もうひとつ、撮影とは別にやろうとしていた制作も、とても首尾よくとは言えない結果におわり、失意と無念に沈んだ。

おそらくこのとき、既にカメラは壊れていて、もし半端な気持ちで、とにかく何でもいいから写ってくれや!と思って撮ろうとしても、たぶん物理的にできなかったんだろうと思う。

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それからほんのしばらくして、違う方法で改めてやってみようと、ブツを撮るためにカメラを用意したら、シャッターがおりなくなっていた。ウンともスンともいわない。ダイヤルの類いがカチコチになっていてどうにもならなかった。

症状を調べてみたところ、内部のネジの一部がすり減って機構の一部が連動しなくなっているような状態になっているらしかった。ゼンザブロニカは大変に古く、ヘンなカメラなのだが、今でも修理してくれるメーカーがあるので、そこまで心配はない。

しかし、修理するよりも、もう一度ほかの個体を買い直した方があきらかに安く済むし、またはこれを機にブロニカS2を卒業して、ついにRF645に乗り換える時か、といろいろ思案した。

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昔、大きな事故をやって、大事にしてたバイクを廃車にしたことがある。直すにしても新車を買い直す方が安かったので、そのまま潰してしまったのだった。

地元に戻ってからというもの、忘れていた古いことをたくさん思い出すようになった。
東京での生活、制作をする自分になる以前のことだとか、人とか記憶とか感覚だ。

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壊れたカメラは、直せるときに直すことにしようと決めた。
新しいカメラもおそらく必要ない。

昔、自分はカメラマンではないと思う、というようなことを書いたのだが、地元にいて、昔の自分と再会していると、もう少し違うことを思うようになってきた。

もともと、自分はクラフターみたいなもんだと思う。カメラを手にするまでも、してからも、たぶんずっとそうだった気がする。写すべきものの前にカメラを「持っていく」のは嫌いだったし、レンズの前に、写るべきものを切って貼って組み立てて「持ってくる」のが好きで、カメラはそれを見ているだけの方がいいのだった。

微妙にふっ切れたのもあって、今までと違う場所で、やり方で、気持ちで、ちょっとだけ違うことをやり始めているこのごろであった。


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